したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

本板投稿移転板

2267神の子様:2017/09/10(日) 18:18:52
1769: 観覧車 :2012/12/09(日) 18:24:18 ID:onAYWLyc
唱和35年の「実相研鑽」、当時の真剣な信徒の求道問答は色褪せず今も感動します。

触発されて本流掲示板にあった童子さんの阿倍野道場の記事を読んで、息子さんの芳邨一弘弁護士の古いネット講演を思い出しました。

①童子さんの記事:http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=826


日時:2012年12月06日 (木) 02時50分
名前:童子

          ◆芳邨十四喜(よしむらとしき)氏は語る


 『私が四ツ橋道場へ行ったのは十四年頃でした。生長の家が別にいいと思って行ったのとちがうんです。 〃あれは邪教だ〃と思っていました。ところが生長の家に知識層が吸収されて行く。それが私には解せません。それで一つのぞいてやろう思うて、四ツ橋道場へ行きましたわ。


 道場は三階でしてね。昇って行くと丁度寺田先生が指導していなさる最中でした。田舎の村長さんみたいなけったいな人が羽織、袴はいてやってたんですね。その時の指導が面白かったんです。

 三角関係で悩んでいる中年の婦人でした。その御主人が二号さんとアメリカに渡ってしまって食えなくなって、その御主人と海をへだてて争っているのがらちあかん。 それで 〃もう私は玄海灘へはまって死ぬつもりで切符買うているんだ〃と頑張っているんですわ。


 そしたらあの寺田先生は、純情な人ですから頭から汗ぽつぽつと流いて湯気立てながら指導なさる。湯気たててね。

 そのときの寺田先生の指導は、「そのアメリカに行っている主人を拝め」というんです。 そしたらその奥さんは 

 「私がこの手でおがんだら先祖に申訳ない。拝まんならんのは主人や」

 というて寺田先生に喰ってかかるんですよ。 寺田先生は元気にね、「それでも拝むんや!」って、・・・・ 私はそれを聞いていて 〃はあ面白いな、こんな世界もあるのかいな〃 と思って、はじめて‘拝む’ということを私は其処で聞いた。 その奥さんは、

 「私は明日、玄界灘はまって死んで、主人の首にとりついて仇討ちをする」

 その時、明日死ぬというから、私は 〃この人どないなるやろう。女の人ってこわいなあ〃 と思うて聞いておった。 そしたらその奥さんは寺田先生の言うことを聞かないから、先生はとうとう 〃帰れ! 帰れ!〃 とおこりはった。それで奥さん帰ると思ったら帰らんでちゃんと坐っているんですよ。 〃あのおっさん怒らんといいのに、何でまたあんなにきつう怒りはるんやろうな〃 と思っておった。

 翌日ですよ。私は〃もうあの奥さん玄海灘へはまって死んだかいなあ〃と調べに行くこっちゃ・・・・・ それで次の日に又四ツ橋道場へ行って三階へトントンと上がって見たら、昨日の奥さんが来ていなはる。 〃やれ死なないでよかった〃 やはり私の心根は可愛らしいのね(笑声)


 それから五日位したですが、その奥さんが、「こんな遠い日本から手を合わせて拝んでもアメリカに届きますか」と質問したんですよ。寺田先生は「届きます」と言う。私は 〃ああ、あの奥さんの心、随分おさまったんだな〃 と思いました。

 私は根が坊主ですから、郷里の北陸へ帰ってこの教え弘めたらいいなと思いました。この頃になると、別に生長の家は悪いことも教えてないし、邪教だと思ったけども邪教じゃないわという気持になって、これまで土・日曜は漫才に行っておったのをやめて、四ツ橋道場に通ったですよ。


②芳邨弁護士の講話:http://www.sakaerukai.com/houraku/0717yosimura.html

芳邨一弘弁護士の本が出たとき「弁護活動をとおして見た人生の光と影―「維摩経」の心を求めて 」を弟さんからネット愛行して頂きました。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板