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非武装信仰板
980
:
シャンソン
:2017/01/19(木) 18:37:58
谷口雅春先生 『光はここに』 信仰あっての奇跡より
大切なことは、まずその奇跡というものを受け入れる心です。これが大切なのです。そうした奇跡が起きた時に、その奇跡を受け入れるだけの器がなければ、その奇跡は空しいもの、無駄なものというふうになってしまいます。それを受け入れるということがとても大事なのです。
それを受け入れるためには、どのような資質が必要でしょうか。これについていうと、まず疑い深いタイプの人、それから猜疑心(さいぎしん)の強い人、不幸感覚の強すぎる人、物質的軛でいつも足をひっぱられていた人、こうした人には奇跡は起きにくい、ということが言えると思います。
とくに愚痴とか不満がひじょうに多いような人には、奇跡が起きにくいのです。奇跡が起きる人を見ると、むしろその逆です。愚痴や不満、不平が出て当然のような環境の中におりながら、まったくそれを気にせず、神への感謝をもって生きている。会う人にはいろいろと優しい言葉をかけ、笑顔を手向けて生きている、こういう人が、実はひじょうに奇跡を受けやすくなっています。
もう一つの問題は、勉強をする人が数多くいるわけですが、勉強することによって用心深くなり、警戒心が強くなり、そして疑い深くなっている人がかなりいることです。これは奇跡を妨げるひじょうに大きな要素となります。奇跡といっても、やはり念の世界に起きるわけですから、それを打ち消すような念を持っているとなかなか起きにくい、ということは言えるのです。
したがって、こうした神の心にかなうような、そのような心を持って生きていくことが何よりも大事になっていきます。
ルルドの泉で奇跡が起きたといっても、水そのものに奇跡の要素があったとは私は思えないのです。そうではなくて、もちろんそこは聖地であるからさまざまな天使たちが降りてくるところだとは思いますが、その天使の意図と地上人の意図とが合致された時に、そのような奇跡が起きてくるのだと思います。
たとえば私のこの『谷口雅春・光はここに』にしても、あるいは前の三巻の本にしても、これを真実、谷口雅春の本と信じて、そしてその真理の言葉を味わい、実践する中に、さまざまな奇跡は起きてくるだろうと思うのです。経済的苦境から立ち直る人、肉体疲労から立ち直る人、病気が治る人、運命が好転する人、こういう人はいくらでも出てくると思うが、疑ってかかった場合には奇跡というものはまず起きません。疑いというものにはそれだけのマイナス要因がある、ということを言っておきたいと思います。
とくに、科学が台頭してきたことはよいことなのだが、科学が台頭してきて、その科学主義というのが一つの、また逆宗教を意味するところが多くていけないのです。学問が客観性を要求するからといって、だれでもが追体験できなければすべて偽物だというふうな考え方、これは方法論の罠にはまってしまった、そういうふうに言えると思います。
自分が体験できなければ納得しないというような人を、数多く創ってしまったというところに、科学のひじょうに残念な面があると思いますし、精神の優位、精神の高さ、徳性の高さというものの価値を、かなり引きずり下ろしたという意味で、科学はたいへんマイナスをつくった面があると思います。有用性が徳性にとってかわった部分が相当あるということですね。
けれども私はほんとうの意味で科学を実践できる人というのは、つねに神秘に対して心を開いていなければならない。そのように思います。たとえば魚の卵一つが孵化して魚になる過程を見ても、ここに偉大なる生命の息吹があるということを、どうしても感じざるを得ないと思うのです。その生命の息吹を生命の息吹と見ないで、ただ物質がここで動いているのだとだけしか感じられない人の心境というものは、たいへん悲しい段階にある、そう言わざるを得ないと思います。
私が一体何を言いたいかと言えば、生命の神秘に対する畏敬の念を忘れた人には奇跡が起きないということなのです。生命の神秘、こうしたものを認めない人には、なかなか奇跡は起きないのです。大学の教授などをやっている人の中にもずいぶん哲学的知識ばかり詰め込んだり、科学的実験ばかりに取り組んで、それ以外のものをまったく認めない人もいます。自分のやっていること以外を認めないタイプの人です。
こうした人のところに奇跡が起きるかというと、皮肉なことに、奇跡はこうした人のところを通り過ぎて行くのです。起きないのですね。まったく不思議ですが、これが一つの法則下にあるということを知らなくてはならないと思います。奇跡にも法則があって、その法則があるところ、成就していくということです。これを科学者たちはもっともっと知らねばならないと思います。
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