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非武装信仰板

962転載:2017/01/03(火) 19:32:58
    谷口雅春先生とオスカー・ワイルド

オスカー・ワイルドの極道

  ドストエフスキーを高く評価していたのが、イギリスのオスカー・ワイルドである。
 最近、ワイルドの「幸福な王子」について読んだ感想等は、以前紹介したが、ドストエフスキーと同じく監獄で彼も悟ったのである。
 男色事件をおこしてレーディングという監獄に入れられたワイルドは、ある光景を目撃する。腰の曲がった痩せ衰えた老人の既決囚が重い水桶をかついで、未決囚のところへ水を配達してくる痛々しい姿を見るのである。ちょうど、「幸福な王子」が銅像となって高い塔に飾られて、町の人々の悲しみ、苦しむ姿を目撃したように・・。
 ワイルドは、可哀相に思い、その水桶をかついで身代わりになる。そのときである、その痩せさらぼうけた老人が、実に嬉しそうな表情をした。このときにワイルドは醜い現象の奥に、悲しみの奥に「聖地」があることに目覚めるのである。いわゆる極道の果てに神(真の愛)に触れることができたのである。
 このワイルドの更生について谷口雅春先生は次のように説かれている。

「本当の愛はいと醜きものにすらなんら報いを求めることなき愛を注ぐことが出来なければならない。逆境に虐げられている憐れむべき人たちに同情の涙をかき垂れ、貧しき者や重荷を背負っているものの重荷を、かわりに背負ってあげるような愛でなければならない。或る色彩が美しいから愛する、その人の顔貌が美しいから愛するとか、肉体が若々しく美しいから愛する、とかいうようなそのような感覚の世界を超えたところの無我の愛ーーこれこそが、本当の『魂の美』であると感じたのです。ここに於てワイルドは『キリストこそ世界の最大の美的生活者であると知った』ということを、彼の『獄中記』に書いているのであります」・・『第二青年の書』「イエスとオスカー・ワイルドの対比」

 神とは無限の智慧であり、無限の愛であり、実在そのものである。それは五感六感を超えた真・善・美の至高の存在であるが故に、私たちは真・善・美のどの道から入ってもその超越的世界に触れることができる。
 ワイルドは“美の極道”をすることによって神、すなわち「無我の愛」に触れたのである。ドストエフスキーは真理を飢え渇くように求める“真の極道”をすることによって新しき命として更生することができたのである。


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