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非武装信仰板

958シャンソン:2016/12/29(木) 07:06:47
①住吉の大神の教え
 『 「消し粒ほどの信仰があれば、山を海も動かすことが出来る」のは、けし粒ほどの大きさの天の門が身体の至る処に秘められている。そこは神の聖霊の出入りす る重大な入口である。
  また神によみされ、神の愛し給う、一心の信仰であれば。例へ小さな祈りでも、 地位名誉がなくても、天地を動かすことができる、これが真(マコト)と申すことなのだよ。』(霊界旅行記p56藤重千代子著)
 
 塩土の大神に導かれたこの本の内容は生長の家の教えと似ている。
 
 「人間の真性は、神から頂いた、絶対に汚れのない直日霊だよ。こ の直霊は、人種をこえ、国境をこえて、同じ性質をしている。アメリカ人の黒人のと異うものではなく、秀才の馬鹿のと区別のあるものでなく、同じ価値と同じ 力を持っている。私の直霊も美珠の 直霊も同じことなのだ。ただ、それが輝いているか輝いていないかの異いはあつても、その性質は同じなのだ。丁度、丸い玉を沢山、よせたみたいに宇宙の中 え、大神様が御自分の直霊をお別けになったのさ、別々のように思えるが、全部を一束にして人間と御覧になっている。もちろん、幾億の直霊に別々の使命を持 たせて働らかすようにされてさ、でもな、人とゆう総体的な価値は同じだからな。直霊は真理の世界からは一人格なのだ。大神様の平等の分霊でな、一人の存在 とし何億の人間が神様の前に立っているのだ。その聖なる自が直霊を拝まないで、自分の本体はわからんのだよ」
 
 「自霊を拝むことがどれほど尊いことか、この鏡である直霊を拝む ことが人の最も大切な祈りの行なのだよ。一切の業報から浄められる真実の祈りなのだ。心の眼が澄みきってくると、祈っている眼前に、燐然と輝く自が霊を拝 むことができる。心の鏡に、自の霊の本体が映るのだ。この事は、どうしても理解しなければならん。光の渦を拝むはすである。自分の内部にのみ映る、自己の 真相をみたとき、雲霧の晴れるごと、人間の情に迷うた、汚れの世界、幾億万年つくりつ くった、自れの業だけでも消えてゆくのだよ。人間はどうしても、この修霊浄心の道を歩むことをせねばならんのだ。お前も修行しなさい。」

 「おじいさま、お守りして下さいね」
 
 拝むことは万国共通の方法であるが、自己の霊を拝むということは 以外と明確にしていないことが多い。自分の霊を求めることが一切であるが、其れを自霊拝と云ふ。神から頂いた使わされた親様を御親のヒカリと呼んだ弁栄聖 者。親との一体化だけが人間の目的である。それ以外ない。そして一番簡単なようで一番難しい故に皆難行苦行して来たが、霊化を邪魔する動物性を清めきる必 要がある。無垢の歌の世界に帰する戦いを今始め心の眼を澄み切らすことだ。其方法が拝むと云ふ行為なのだ。法華経にある釈迦の過去世で常不軽菩薩は人を拝 んで居たが、宇宙万物を神の実として(空気が一番有難い)拝み自分の肉体も自分の物でない神様からの借り物と慮って大事に扱ってゆくことなのだ。


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