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非武装信仰板
857
:
シャンソン
:2016/07/15(金) 19:53:37
コーランは次のように告げる。
あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。
だが、侵略的であってはならない。本当にアッラーは侵略者を愛さない。
この「侵略者」は作品社版では「法を越える者たち」、岩波文庫版では「不義なす者ども」となっている。
いずれにせよ、これは専守防衛の日本国憲法と同様、戦いを防衛線に限ることを意味しているとの由である。
ムハンマドの一党はメッカ市民から信仰の迫害を受けた。
この不当な迫害に対してのみ、戦いが許されるのだ。
「アッラーの道のために戦え」という文章は誤解を受けやすいかもしれない。
「神のために戦う」「正義のために戦う」と言ったとき、自分勝手な戦いの衝動を神や正義の名によって正当化するというニュアンスにも
なるし、本当は戦いたくないのだが仕方なく戦うのであるから、せめて神の意や正義に適うようにやっていきたいというニュアンスにもなる。
ジハードは「奮闘努力」という意味であり、精神的解釈としては、神から離反してしまう罪の克服の鍛錬のことだ
(「大ジハード」)。そして物理的現実として、抑圧や迫害を受けているときに、それを武力ではねのける場合にもジハードとなる(「小ジハード」)。
ジハード(聖戦)....神のために自己犠牲を払って戦うこと
大ジハード....個人の修養としての内面的戦い
小ジハード....武器による戦闘
そしてこの物理的ジハードの概念が独り歩きすると、イスラム防衛という大義のためなら、テロだろうが何だろうがかまわないという
過激派的解釈が生まれることになる。しかし、ジハードを本来の形で行なおうとすると、女性や子供や老人や聖職者を含む非戦闘員を害しては
ならないし、拷問も強姦ももちろん駄目で、敵方の物品や施設をわざわざ破壊することの駄目である。そういう意味では、テロリストや過激主義者がいかに
アッラーの名を語ろうとも、彼らは信者ではないということになる。
『教養としてよむ世界の教典』 中村圭志 著
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