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非武装信仰板
338
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晴れときどきより
:2013/06/26(水) 20:06:16
今日の言葉
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『無門關』 ということ
『無門關』 という題名は 『無という関門』 ということである。
そもそも門というものは、家の外にある家への入口だ。 そこに守衛がいて怪しいやつは中に入れない。 ところが、その門が 『無』 だから何とも面白いのである。
門などというものは無い。 従って門番は無い。 そうすると、 『無門關』 は門の無い関所ということになる。 門も門番もないから、四方八方どこから入ってもよろしい。
ところが、入口無しの全方位解放となると、それが人間にとっては難関だから妙な話である。
むかし読んだドイツ人の著書で 『クルグ・ヴィー・デイー・シュランゲン』(蛇のようにかしこく) というのがあった。 その中にあったと思うが、カリフォルニアの研究所で動物学者と社会学者のやったという ‘ねずみ’ の実験である。
ねずみを箱から出してやる。 そこは起伏の全くない、草も木もない、‘でこ’も‘ぼこ’も穴もない広大な平面の地である。 すると、ねずみは度を失って、どこへどう走ったらよいのかわからないらしく、とまどって身動きができなくなるという。
門があれば、まっしぐらにそこに向って走れるのだが、全面解放でどこへ走ってもよい門無しとなれば、それが不思議や一転して一大難関になり、人は不動の金縛りになる。
というわけで、凡夫人間は ‘ねずみ’ とあまり変りなく、無門だとそれが難関になる。 どこから悟りの世界に入ってもよいのに、身心が ‘すくんで’ 動けない。 これを 『無門關』 という。
田中忠雄 『雄峯一膳飯』 より
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