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非武装信仰板

222さくら:2013/04/30(火) 20:22:55
訊けさま。

http://blog.livedoor.jp/con5151/lite/archives/65728438.html

>ここに、宗教のとりあつかう生命というものが、反省をとび超えて喜ばしいものを実現するものだということを、教えてくれているように思われるのであります。
暗さを消すには電燈をつければよい、ということを生きておられる話だと思われます。

それにしても、この体験談も、すごいですよね。

マムシに噛まれて喜ぶなんて、
…なんて世界なんだよ、と、笑。
でも、ほんとにそうですね。

前に、るんるんちゃんが、「…お道徳のお勉強みたいな言葉で人間良くなってりゃ、苦労しないんですよ」…(言葉違っててごめんね、だいたいこのようなことだったかな…と。)というよいなこと書いていて、たしかにそうだな、って思ってました。
宗教がいう、許しましょう、愛しましょう…なんて言葉は、みな分かってるんですよね。
それでもなお、その人が、掴まざる得ないこころの傷があったり、それをせざる得ないその人なりの理由があるわけで……
やっぱり「反省」とか、「謙虚に学べ」とか言われるだけじゃ解決しないことって、ありますね。


自分の心を振り返って反省するのは実際必要だけど、それは通過点で、
神の子の喜びに突入するのが根本なんだな…とこの体験談読んでも、分かりました。

体験談って、いわゆる宗教のお説教や偽善的なことばじゃなく、
心にすなおに届く「直接性」があって良いですよね。
それぞれが、神に出会う物語があって…それがことば以上の、信仰の継承のように、伝わることもたくさんあるのではないかな、と。

どの方の体験談にも、新鮮な驚きと温かい視線のある清超先生のお姿も、…やっぱり、なつかしいです。

信仰の継承って、ことばとか文字以上のものが伝わることであると思いますから、
いまは、個人的に「ある面において」(たとえば初心者がネットで安易に信仰や愛の深い世界を学べると思うのはどうなのだろう…とか、)は、ネットの学びにはある意味、弊害や限界があると、おもうようになりましたが、

それでも、信仰の良心に基づく判断力を身につけた信徒同志が、「喜びを公平に分かち合う場」は、素晴らしいな、と思っています。

徳久先生のご講話も聞かせて頂きました!

「悪い」ものを「善く」しようとするんじゃない。
すでに善いことを喜べはよいんですね、

…簡単なことばだけれど、すごい宗教的真理だとおもいます。


ありがとうございます。


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