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非武装信仰板

2186神の子様:2021/12/21(火) 13:00:01

  石原裕次郎 我が人生に悔いなし
 https://www.youtube.com/watch?v=YnhIDLdxzAE&t=213s

2187うのはな(シャンソン):2022/01/13(木) 21:40:01
   桜井識子さんのある本を読んで

 ここの低レベル掲示板では、よく濡れ衣を着せられたとか
 間違ったことを書かれるとか、冤罪だとか
 わめきちらしている投稿が散見されます。

 桜井識子さんは、お岩さんで有名な神社を参拝したとき、
 お岩さんがドラマや映画で有名な「うらめしや〜」のお岩さんではなく
 あれらは娯楽物として作られたお話で

 実際のお岩さん夫婦と言うのは仲のいい夫婦で、夫がサムライとして
 収入が低い地位の人だったので、二人とも勤勉によく共働きをし、
 お岩さんはそのとき屋敷に祀られていた稲荷神をよく拝み、
 それで、どんどん豊かになっていったので、後世までそのお屋敷にあった
 お稲荷様が祀られた、というのが事実なのだそうです。

 しかし、お岩さんが生まれ変わって、外国の人間だったときに
 日本のお岩さんというのは、おそろしい化け物として、祟られる人だとして
 有名になっているのを知ってすごいショックを受け、
 死んで霊になってからも、そういう心の傷でがんじがらめになってしまい
 他の眷属霊などがはげましただけではどうにもならない状態だったそうです。

 それが、櫻井さんが真実をブログや本に書いてくれたおかげで
 今の日本ではそれを読んだ人たちが、お岩さんの神社に来て、お岩さん、
 誤解していてごめんなさい、と謝ってくれる人が多数参拝に来て
 お岩さんは傷ついた心が癒されていったといいます。

 そして、櫻井さんに、人間は素晴らしい、お岩さんは今度は人間に生まれ変わって
 私が濡れ衣を着せられ傷ついた人たちの役に立ちたいといったといいます。

 濡れ衣は人を深く傷つける。
 そして、人間は素晴らしい、私も人間に生まれ変わる、と決意させた
 人間というもの、神の子というもの、
 そういったものに、わたしも感謝したいと思います。

2188コピーショップ:2022/01/14(金) 20:27:23

 人間は肉体ではない。霊的実在である。この事実を深く心に自覚せしめるための行事が神想観である。神を頭脳で知っただけでは、神が”わがもの”とはならないのである。全心身をもって神の実在を体感体得しなければならない。それをなすのが神想観である。神想観を怠らず行ぜよ。
 神想観を怠らず行じているうちに「人間神の子」の真理が、頭脳的な知識から、感情的な把握となり、さらに進んで、全生命的な把握になってくるのである。神が単なる理論上の存在や、名称上の存在でなくなって、自己の生命そのものとの自覚を得はじめたとき、私たちの生活は変貌しはじめるのである。(『詳説 神想観』17頁)

2189トキ:2022/10/09(日) 20:42:28
「生長の家」の説くは机上の空論ではなく生命の法則であるから道すなわち生活であるのである。この法則を自分自身の生活に生きるとき「生長の家の生き方」として展開し、他人の生活におよぼすとき隣人への愛行となる。ここに一つの道は展開して生活となりさらに展開して愛行となるのである。愛行のうちに生活があり、生活のうちに道があり、道と生活と愛行とは三位にして一体である。道が生活の上に悟られるときそれは救いの相をもって顕われ、メタフィジカル・ヒーリングとなって、健康境週性格の改善等をおのずから成就する。

生命の實相 第1巻 8ページ

 統一協会などのカルトが世間では糾弾されています。これらの教団は、「人間は罪の子」と教えて、恐怖で支配する宗教で、谷口雅春先生は、「宗教強盗」と喝破されました。

 しかし、生長の家でも、これを他山の石として、謙虚に反省するべきだと思います。宗教をすることが、何か異常なことであるような雰囲気が世間にはありますが、この原因は全て宗教者にあると思います。生長の家でも、戦前、谷口雅春先生がご指導をされていた時期には、この点は行き届き、ごく普通の生活の中に真理を実践するような姿勢が尊ばれました。

 それが、組織が大きくなると、組織を維持することが至上命題になり、組織の都合を信徒に押し付けるようになりました。最近になると、石を拝んでありがたがる異常な信仰を本部が言い出し、それを一部の狂信的な信徒が実践するという異常な状態になっています。

 ここに、私達は、生長の家の信仰の原点に戻り、信仰の本質は、一人一人の「神の子」の自覚であり、生活の向上であると言うことを認識することかと思います。

2190トキ:2022/10/12(水) 11:07:35
 これを消費者側からいいますと、信仰心の深い人は「もったいない」ということをよくいわれますが、なんでも買わず使わずに不自由をがまんして窮屈な生活をしている方があり
ます。 「生長の家」ではそんな節約ぶりには大反対であります。どんなものでも元は神さまが作ってくださったのだからもったいない――そのところまでは同じでありますが、次は
います。わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、写
えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれも使ってくれなくてはその努力が生きて来ません。物を生かし
て使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすということになります。

 この世は持ちつ持たれつの世のなかでありますから、人の注いだ生命を生かすことが自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。

頭注板 生命の實相 第2巻 189ページ

 先日、本部から届いた通達を見たら、

 「この間、機関誌につけて送った”世界平和の祈り”新バージョンを印刷したケードを破棄してください。

 新しいカードを送ります」

とありました。

 なんでも、カードの下部に Seicho-no-ie という文字を印刷するのを忘れたので、全部破棄して印刷して送り直す、という話だそうです。以前、日時計日記のWeatherの誤植を指摘しても無視して、翌年、しれっと直したのと対応が違います。しかし、これはもったいない話だと思います。

 が、逆に、あれをしてはいけない、これを買ってはいけない、というのも、窮屈だし、必要なものを買わず、不要なものを溜め込むのも、循環を止めることになります。

生長の家の要諦は、「感謝」であります。

 私は、昔、ものを買うのも、ものを売るのも、「感謝」の気持ちが大事だと教わりました。この気持ちがあれば、何を買っても、買わなくても、自由だと思います。


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