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非武装信仰板
2114
:
転載
:2021/06/15(火) 17:38:32
自ら戒めて心を傲(おご)らざる日 - 伝統
2020/04/27 (Mon) 04:05:25
*「光明道中記」(4月27日)より
【わが身忘れて神様にみんな献げるとは、我が身は無いと云う実相を知ることです。
(『生命の實相』第十七巻)】
生長の家は肉体無しの教である。
何時でも『殻』の捨てられないような人は生長の家ではないのである。
人は何処までも真理の公僕でなければならないのである。
私は今もそれを心掛ているのである。
「私は教祖ではない」とは『生命の實相』の中にもあるし、
「生長の家の歌」の中にもある。
私は真理の宣布機関として生長の家本部なる組織を造ったが、
少しもそんな組織の主宰者として何時までもいたいとは思わないのである。
何時でも時期が来たら後継者に譲る準備が出来ているのである。
生長の家の地方の教化を司っている人たちもその心掛でいて欲しいと思う。
「《私が》教化した」とか「《私の》造った地盤だ』とか言い出したら、
もうその人は生長の家の思想ではない。
生長の家の思想は無我の思想であるから
「《私が》」とか「《私の》」とかのない生活である。
他の宗教では暫く継続的に教化していると、時とすると自分の信者を作ることがある。
真理への信者でなくして自分の信者を造ってその勢力を張ろうとするとき、
その人は真理から墜落したものとなる。
そんな人で高所から墜落して死んだ人もある。
<感謝合掌 令和2年4月27日 頓首再拝>
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