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非武装信仰板

2113神の子様:2021/06/12(土) 14:50:57

>韓国のキリスト教界においては、その教理や布教方法に対してこれまでも批判があったが、彼らは、国家が定めた法を犯すようなテロリスト的集団ではなく、信教の自由に基づいて与えられた権利内で行える集会を開催していたにすぎない。しかし結果として、韓国の集団感染に一役買ってしまい、疫病に対する無知を露呈してしまったことで非難されることとなった。

それ以後、特に韓国では、キリスト教会に対する礼拝「自粛」の圧力が強くなり、世界各国の他の宗教団体においても宗教活動の「自粛」を余儀なくされる風潮がある。特にキリスト教会は、礼拝を中止するか、ネット配信(いわゆる無観客)に移行して礼拝を行うことで何とか急場をしのごうとするところが多い。

この事態をより卑近な例で取り上げるなら、こういうことが起こり得るだろう。例えば、新型コロナウイルスの話題で持ちきりの現在において、あなたが熱心なキリスト教信者であり、職場で未信者の友人から「あなた、日曜日に教会に行ったの?」と尋ねられたとする。熱心な信仰を持っていたあなたは、当然のこととして「行ったよ」と答える。すると、その友人は眉をひそめ、そそくさとあなたのそばを離れ、手を洗いうがいをする、ということになる。

おそらく友人の言い分とあなたの言い分はいつまでもかみ合わないだろう。なぜなら、それぞれが立脚している前提が異なっているからである。あなたからすれば、自分は信仰者としてどんな状況にあっても礼拝を第一とし、神を最優先にする生活を営んでいるという自負があるだろう。一方、未信者の友人からすれば、これだけ集団感染が頻発し、予防策が叫ばれているのに、そしてどうしてそのような予防策が必要かも語られているのに、あまりにも無頓着、無知、無責任ではないか、ということだろう。結果「やはり宗教は怖い」となるのが日本人の常である。

欧州では、カトリックの司祭がウイルス感染で多く亡くなっている。高齢の司祭が多いことも理由の一つだが、ウイルス感染で亡くなった人々に対し、カトリックにおける7つの秘跡の1つである「終油(病者の塗油)」を施していたことも理由として挙げられている。終油とは、臨終時の病人に特別な油を塗ることで、無事に天国へ行ける備えをする儀式である。

考えてもらいたい。カトリックではない人たちからすれば、どうしてこんなウイルス感染拡大時期に、ウイルスに感染した重篤者の体に油を塗るという行為を敢行したのか、まったく分からないだろう。見方によっては、司祭は自殺にも等しい行為をしてしまった、と判断されることもあろう。これは、医療従事者が治療を施している現場で感染するのとは異なった状況である。

宗教行為は、世俗からは「そんなことしなくてもいいのに、今はそんな時ではないのに」と思われてしまう。しかし宗教的世界観を自らのそれとして受け止めている者からすると、見解はまったく逆である。「どうしてもしなければならない、今がその時だ」となる。

そういう意味では、今回のコロナ騒動を通して最も露わになったのは、宗教的世界観と科学技術優先の世俗的世界観の断層である。今までこの断層は存在していたとしても、それほど人々に違和感を抱かせない程度の小さなズレでしかなかったか、一部の狂信的な集団が反社会的な行動を起こすことによって引き起こされた特殊な事例においてであった。


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