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非武装信仰板
1904
:
転載
:2020/04/21(火) 19:04:45
>奇跡の光跡 1 八起正法先生編
上の写真は昭和四十八年の九月一日から十日、志賀高原特別研修(長野県竜王)での高橋信次師のスナップ写真である。
次の写真と多いに関係があるので、この時の情景を詳しく述べてみよう。
このとき高橋信次師は弟子の中から九人を選び、インドの釈迦の当時と同じ研修をした。
九月二日の午前は質問の時間だった。園頭師は、かって本部講師をしていた「生長の家」教団の教義の問題について質問しようと考えていた。すると、「園頭さん、あなたの質問はキリストに答えてもらいましょう」と質問をするより早く園頭師の心の中を読んで告げた。
瞑想にはいると信次師は、「心に愛のない人に、心の法則、心と肉体との関係、を教えてはなりません。心の法則は、人が愛の心を持った時に教えなさい。…」と、キリストは信次師を通して教えるのだった。
園頭師が最初に見た信次師は釈迦の相(すがた)だったが、いま眼前に現われている姿はキリストであった。固唾を飲んで顔を見ていると、不思議なことにも信次師の顔がイエス・キリストの顔に似てきた。
瞑想を解いた信次師が「園頭さん、わかりましたか」と言った直後に、「モーゼにエホバと名乗って出たのは私ですからね」と。
そのとたん園頭師は、それまで経験したことのない神の権威に打たれて信次師の前に跪(ぬかず)く。
跪いているのだから、信次師の姿は見えないが感じたという。信次師は釈迦の相を示現している。すると、不思議なことに釈迦の相の上に大きな光りがあって、それは釈迦の権威を超越したもう一つの大きな権威だった。
園頭師は跪きながら、その感激に、そのありがたさに泣き出してしまう。園頭師の頭は、その権威の前に自然に下がった。
それは頭を上げてなどはいられない全く自然なものであったが、上げようと思っても上げられるようなものではない霊の権威、霊の重圧であったという。
信次師の言葉が終って頭を上げようとした。そのとたんに園頭師の頭は今度は押しつけられるようにして額(ひたい)を畳にすりつけていた。
そして、言葉が胸の奥からほとばしり出た。頭は畳にすりつけているのに園頭師の心眼は信次師とその背後にある釈迦とキリストを通して、はるか彼方からというか、はるか上からといっていいか目も眩むような神の光りを園頭師は見ていた。
「神よ、この偉大なる方を今、この世に下したまいて、われらの心の光りとなさしめ給いしことを感謝申し上げます。」
肉体を持った園頭師は、信次師の前に跪いているが心は信次師の心と神の光(神の心)とが一つであり、神の光が肉体を持つ姿となってこの現象の世界に現われ、それは神が全人類を救わんがための神の愛であることを知ったという。
大きな権威 →光→ 釈迦→ イエス→ 高橋信次 そこから流れ出る、「仏法・正法」こそは神の心の流露であった、と園頭広周師は言う。
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