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非武装信仰板

1824シャンソン:2019/11/01(金) 21:19:24
     悟るより気づくことが大事
 
 私は、人間は悟ることなどないと思っています。
私自身、ジェットコースターのような浮き沈みの激しい人生を送ってきた末に住職にたどりつきましたが、
まったく悟りの境地になど達していませんし、まだまだ人間として未熟で、悟ったなんて口にするのもおこがましい。
傲慢きわまりないことです。

 「悟ったなんてどうしてわかるの?死後の世界なんて誰も見たことないからわからないし、死んだ人には聞けないし」
講話では正直な思いを口にしています。お釈迦様だって自分で悟ったとは言っていません。あれは弟子が言っているだけです....なんて言うと、
怒られてしまいそうですが。

 悟りとは「差を取る」ことではないでしょうか。神様との差をできるだけ取って近づくように生きていくことを心がければいいのです。
自分とは自然の分身。自然とは宇宙・神。自分も神であり、仏である。信じて仰ぐことが信仰です。悟りより気づき。気づきが大事。
気づいたときが始まり、人間は死ぬまで気づきの連続です。

 円明院には、社会的地位のある方が来ることもあります。でも私のスタンスはいつも変わりません。総理大臣が来たとしても変わらないでしょう。
尊敬はするけれど、偉いとは思いません。俺は大臣だ、社長だ、と威張る人がいたとしたら「だからなんなの」「それがどうした」と、すっとぼけた顔で笑い飛ばしてやります。
 大臣も社長も人間が作ったもの。役職、責任職です。自分も住職というポジションをあずかってやっている。
 ただそれだけのこと。

 私は「偉人と言われるなかれ、ありがたき人となれ」
 日々、そう思って生きています。

    『奇跡の寺の教え』 泉 智教 著


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