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非武装信仰板

1720転載:2019/06/27(木) 19:55:24
 
    愛媛県 二重光輪会員  秋 月 輝 子
 


 
 私は昭和14年2月1日、誌友会に出席させていただいたのが幸福への入門の時でありました。 信仰深い近藤シゲ子様〈故人〉が初めて誌友会に誘って下さったのでございます。 何度か出席させていただいているうちに、その年の8月の比叡山の御講習会参加を申込む勇気が出て、夫婦そろって申込みました。

 ところが、その許可書が来た日〈6月26日〉、突然主人が他界致しました。 悲しみの中をおして主人の霊位を持って、主人の代りに姉を連れて、子供は母に預け、悲壮な心で御講習会に参加いたしました。 熱情溢るる神のお声は、光明燦然として降りそそぎ、胸うたるるばかりで、このご法話を1ヶ月前に聞いていたなら主人を死なせなかったであろうと後悔やる方なく、体験談に、御法話に、悪者は私一人と悔悟の涙を滂沱として流しました。 あの感激はその後何百回受けたかわからない御講習会でも味わったことはありませんでした。

 文字通り雀躍する思いで、うれしさ一杯で帰りました。 しばらくの間、主人がなくなって間もないので、常識ある人にはパァーになったかなどといわれたりしました。 けれども、今までのように暗黒ばかり見ていたのでは、よくなる訳がない。 徹底して明るくなることだ。 悲しんでもよくならないと思いました。 笑いお稽古も自宅を開放してやりました。 また、学校の裁縫室を借り、又ある時は公会堂を借り、よき協力者を得まして資金の許すかぎり誌友会、講演会をやり、夜は寝ずに 『生命の實相』 を読みふけりました。 そして力を得ては一人でも多くの人にと神誌や聖典をおすすめいたしました。

 私は地元に組織をつくる一方、自分は法輪をたずね、昭和15年8月に高野山の御講習会に、そして翌年も参加し、その当時はお米を持って行きました。 一人4升で1週間、姉と子供と私と3人で1斗2升、汗をふきふき姉とかわるがわる背中に負って行きました。 懐しい思い出の一つです。 そして神戸の七生会館、尾道、広島、高松、坂出、丸亀、観音寺、川之江、西条、今治、松山、八幡浜、宇和島と総裁先生の御来光下さる所へは必ず参らせていただきました。

 昭和22年の正月、新居浜へ初めて御巡錫いただきました時の嬉しかったことは決して忘れることが出来ません。 その時谷口先生から  「会員も少なく、幹部もないのに、実相のみを見つめて、よくここまでやってくれた」  と、お賞めの言葉を給わり、その宿舎でさらさらと実相の霊筆を下さいました。  「読んでみなさい」  といわれましたが、  「感激の涙でうち震えて読めません」  と申し上げますと、先生御自らお読み下さり、  「誠心に差上げます」  と言われました。 居合わせた人々も感謝感激で  「有難うございます」  の連続でした。 早速表装していただき、毎日その前で神想観を励み、み心に応えるべくつとめています。 それには次のようにお言葉が書かれてあります。


 『生命の實相と申候事は此の世界が此儘神の国であり人間は其儘神の子なりと申事に候  さればこそ心を静めて實相を見よと申すに御座候  現象に如何なる悪顕れ申候ともいづれも神の作り給へる實在には無之候間気にかけずに唯實相円満なる相のみを観ずれば結局は円満なる實相現るるものに有之候  敬白』


                     『生長の家40年史』 より


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