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非武装信仰板
1718
:
転載
:2019/06/27(木) 19:29:25
高橋信次師と谷口雅春師(三)
高橋信次師は、もともと行動力のある実践的なタイプの人間でしたから、
反省によってその方向性を正すことが最大の課題でした。
信次師の説く正法神理は、そのような信次師の人間類型に基づいて構成されております。
実践するためには、常に実践課題が一本化されていなくてはなりませんので、
思考回路は単純化されていた方がよいのです。
ところが「心の問題」「人生の問題」は、必ずしも単純化された思考方法では、
解決がつかない複雑な問題も多いのではないかと思います。
谷口雅春師の光明思想には、
「心を奮い立たせる法」
「心を励ます法」
「積極的なものの考え方」
というものがあり、(もともと積極的思考の持ち主であったために)
信次師には必ずしも必要とは言えないものであったと思います。
また「老荘思想」や「他力思想」には、
「心を癒す法」
「心の緊張を緩める法」
が説かれてあります。
私は、真理は信次師の説かれた仏陀の八正道に尽きるものではないというのは、
そのような意味合いにおいてであり、
「心を励ます法」(光明思想)も
「心を癒す法」(老荘思想・他力思想)を説くこともまた、
宗教の大きな役割であると思うのです。
宗教の役割とは、聖書や仏典を見ればわかるように、思想でもあり文学でもあり、
人間のさまざまな「心の葛藤の問題」、また「人生の問題」を解決していくための智慧を
提供するということだと思います。
私の信次師に対する印象は、「苦労人」ではあったが「苦悩する人」ではなかったというものです。
それに対して谷口師の場合は、『生命の実相』(自伝篇)などを読んでみても、「苦悩する人」という
一面が非常に大きかったように思います。
身体面でも信次師はバイタリティ溢れる実業家というイメージがあり、
谷口師は、青白きインテリ青年のイメージがつきまとっております。
また高橋・谷口両師の共通概念を探っていくと、宇宙万物の本質が「光」であるということです。
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