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非武装信仰板

1384うのはな:2017/12/05(火) 17:30:20
     今生の学びは必ず生かされる

 仏教の六道輪廻にしても、ヒンドゥー教における転生とカーストとの関係にしても、
「よいことをしたら段階が上がる、悪いことをしたら下がる」という法則があるといわれます。
しかし、私のたどり着いた輪廻転生のあり方は違います。現世でどんな行いをしても、つまり、よいことをしても
悪いことをしても、生まれ変わるときには必ず段階が上がります。

 一般的・社会的な意味では悪いことでも、すべては本質の成長に役立つ「学び」だからです。あらゆることは「よい経験」であり、人の本質は一生を過ごすうちに
必ず成長するからです。どんなに一生が短くても、何もしていないように見えても、悪行ばかり働いているように見えても、本質は必ず成長しています。成長しない人はいないのです。
ですから、生まれ変わったときに、今生よりも下の段階に下がることはあり得ません。

 私の考える段階は、仏教でいう六道のような少ない数ではなく、インドの細かいカーストよりもさらに多く、無数にあります。それを、学びが大きかった人は飛び級のようにして大きく上がり、
そうでない人でも相応に上がって、来世に生まれ変わります。ここでいう「段階が高い」とは、宇宙の真理である「コンパッション(compassion)」に満ちている状態です。コンパッションは、慈悲、慈愛、共感、同情、
愛などと訳されますが、日本語にすると、残念ながらどうしてもピッタリくる言葉がありません。

 慈悲や慈愛、同情というと、本来は違うのですが、どうしても憐れみがまざるイメージになります。かといって単なる共感とも違います。
愛というと、これも本来は広く深い意味ですが、男女間の愛をイメージする人もいて、人による解釈の違いが大きくなります。ピッタリくる日本語がないので、やむを得ずそのまま英語を使っています。
しいて日本語にするならば、「平等で純粋な慈愛」といったところでしょうか。以後、「コンパッション」という言葉が出てきたら、そんなイメージを思い浮かべてください。

 コンパッションこそが宇宙の真理であるというのは、仏教の根底に流れている思想でもあります。私も、何もするにしても純粋なコンパッションのみで動きたいと願っています。学校をつくるなどというも、ほんのわずかでも
何かの見返りや名声などを期待する気持ちがあるとしたら、動いてはいけないと思っています。その人がコンパッションに満ちているかどうかは、すぐにわかります。コンパッションに満ちた人といると、とても気持ちがいいからです。
身分や学歴などは、一切関係ありません。論理ではなく、外見でもありません。そういったことはまったく別にして、いっしょにいるだけで心地よくなって癒される人が、あなたのまわりにもいないでしょうか。

 たとえば、心に哀しみを抱えて何もいわずに訪ねれば、「よく来たね」と敏感に哀しみを察知して、さりげなくやさしく接してくれるような人です。別のいい方をするなら、「波動が高い純粋な愛に満ちた人」ともいえます。そういう人は、
本質の段階として非常に高いランクにいるのです。

  『食べない、死なない、争わない』 稲葉耶季 元那覇地方裁判所所長判事・元琉球大学教授 著


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