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非武装信仰板
1223
:
シャンソン
:2017/09/21(木) 16:56:02
一人ひとりが幸せの発信基地に
すべてが思いどおりに計らわれることを望みながらも、様々な厳しい状況が襲ってくるのが人生です。
ここで大事なのは、人生の苦難はそれを受け入れてこそ離れるkとができるし、苦難を受け入れた時、通常では
見つめられない深い幸せが存在していることに気づけるということです。
随分前ですが、私の講演会でのことです。一人の女性が私の話を聞きながら、ハンカチを使おうともせずに涙を流し続けている
様子が目に留まりました。「きっと思い当たることでもあるのだろう」とは思っていましたが、講演が終わり、受講者からの質問の場面になった時、
彼女が手を挙げてこう話し始めたのです。
「私の体の中は洞窟と一緒なのです。これまで八回手術をして、こんな空っぽの体で、どうして生きているのかお医者様も不思議でたまらないと言われています。
それなのになぜ、私がこうして元気で生きられるかと申しますと、実は知的障碍の二十歳の息子がいるからなんです」彼女はその子が生まれて間もなくご主人と離婚。彼女必要としている
息子さんのために、今日まで手術を重ねながら死に物狂いで働いてきたのでした。勤めを終えて家に帰った彼女を、息子さんはまるで子供のように手足をバタバタさせて喜んで出迎えてくれたといいます。
喜びを満面にした顔を見る度に日々の苦労が吹っ飛ぶというのです。
「この子を残しては死ねない」その思いこそが彼女を突き動かし、生かす原動力でした。
私は講演の中で、幸・不幸というものは客観的に計り知ることはできない。苦しみの極みを積極的に受け止めて生きていく時、苦しみは生きる深い喜びをもたらしてくれる、と話しました。彼女はその話を聞いて、知的障碍の息子を持つ、
ボロボロの体の自分でも、我が子の顔を見て幸せを感じ取ることができることに気づき、これまで味わったことのない深い感動が込み上げてきたそうです。
講演からしばらくして、私のもとに彼女から一通の手紙が届きました。
息子さんが亡くなられたことを知らせる文面でした。ところが、そこには悲壮感のおようなものは全くありませんでした。
「私は幸せなことに、こうしてまだ生かされております。あの子の笑顔が、しあわせに生きてゆくようにと呼びかけているのです」
苦しさを受け入れた時に、初めて出てくる輝きと幸福感がそこにはありました。
私たちの幸せは他人から与えられるものではなく、自らつくり出していくものです。その時、どうしても見落としがちなのが当たり前のことに感謝の気持ちを持つことです。
私たちが日常生活で抱く激しい感情や深い悲しみ、爆発寸前の怒りは、海に例えれば大きな波のようなものです。波が強烈なだけに、水面下に隠れている穏やかな喜びや静かな感動、小さな幸せは気づかないままに見過ごされてしまうことが多いのです。
しかし、この当たり前のものに目を向けていった時、そこにこそ一過性ではない本当の幸せが隠れていることを忘れてはいけません。それは、健康で生きていられること、歩いたり走ったりできること、働く職場があること、家族と団欒の時間を過ごせることといった些細なことで、
いくらでも数え上げることができます。
もし、幸せというものが分からなくなったら、当たり前のように思える、この小さな幸せを一つひとつ数え上げてみたらどうでしょうか。ただそれだけで幸せ感覚が戻ってくると思います。
当たり前と感じていた出来事に感謝の心が生まれ、生きているそのこと自体に喜びを感じるようになった時、その人は既に「愛と幸せの発信地」となって、社会を照らしているのです。
そういう人が一人、二人と増えていくことで、この社会もきっと明るくなることでしょう。
『自分の花を精いっぱい咲かせる生き方』 鈴木秀子 著
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