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非武装信仰板

1180シャンソン:2017/09/03(日) 15:04:10

 どんなに社会的評価が高い人にも、どんなに恵まれた人にも、死は等しく訪れます。
例えば、土地や財産をたくさん持っているような資産家にも、死は確実に訪れるものです。


 ここでは、日本有数の資産家だったRさんのお話しをしておきましょう。
なぜ「資産家だった」と過去形で話すのかというと、現在の彼は質素につつましく「無一物」で
過ごしているからです。それは全財産を投げ打って、本当にやりたいことを突き詰めてきた結果です。

 傍目に見ると、彼の人生はジェットコースターのような「生活レベルの下降」に見えるかもしれません。
しかし彼は周囲にすすめられたり、押し流されたりして、このような人生をやむなく選択したわけではありません。自分の意志で
自覚的に選択したのです。

「これから何をなずべきか」、悩んだRさんが大きな判断基準としていたのは、他ならぬ「死」でした。
まだ遠くにある自分の「死」。そして、数年後には迫りくるであろう。「母親の死」。それらを意識したからこそ、常識や世間体にとらわれすぎず、自分自身が納得できる生き方を
貫くことができたのです。

 Rさんはもともと、日本でも有数の地主の一人でした。政財界とも華やかな付き合いがあり、社交界でも知らない人はいない名士でした。
日本中の景気がよかったバブル期などは、銀座のクラブで毎晩のようにお祭り騒ぎ。大きなごみ袋に、まるでサンタクロースのように1万円札を詰め込み、それをバラまくといった乱痴気騒ぎを
日課のようにしていたそうです。

 当然ながら、そんなRさんを飲み屋街の人たちが放っておくわけがありません。
Rさんはどこに行ってもちやほやされ、昼間も夜もその名を馳せていました。
ところがどうでしょう。ある時期突然Rさんは、〝銀座遊び〟が急に面白くあくなり、嫌になってしまったのです。
背景には、まず事業で負債ができたことが、社会的に明るみになったということがありました。

そのことで、手のひらを返すような態度をとる人が出てきたのです。
Rさんは「多くの人が自分に優しくしてくれたり寄ってきてくれたりしたのは、私のお金だけが目当てだったのだ」という事実を痛感させられたといいます。

もちろん、それは今までも頭でぼんやりとわかってはいたこと。
ですが実際に、昨日までにこやかに接してくれていた人たちがサーッと引いていく姿を目の当たりにすると、生きることが虚しく思え、「お金」や「名誉」へのこだわりまでも
が薄れていきました。

 それからRさんは事業の面で懸命に努力を重ね、大きな負債を返します。
後ろめたいことは何もなく、また元の地位に返り咲いたRさん。世間の人たちの目には、彼はまだまだ「成功者」と映ったことでしょう。
その時Rさんはすでに50代半ばにさしかかっていました。

 冷静に人生を見つめ直して「自分はいったい何がしたいのか」と考えた時。「人生の手持ちの時間は、そう多くないはずだ」と気づいた時。
「楽しいことも辛いこともあったけれども、やがて私は死んでいく」と悟った時。頭に浮かんだのは、長野県の八ヶ岳で暮らしている年老いた母親のことでした。


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