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非武装信仰板

118さくら:2013/04/21(日) 14:18:05
>>114

たしかにそうですね、。
生長の家の体験は、それぞれの方にとっての大切な、「真実の体験」であり、神との出会いの宝庫だと思います。
その信仰の体験を、「横の真理」としか見られないのは…宗教的センスの欠如さえ、いまは感じます。
そこに「神の世界の現れ」を見ることができるかできないか…、そういうことかもしれませんね。

実は、わたしも生長の家に触れたはじめの頃、講師の方に質問したことがあったんです。
「病気が治ったとか、仕事がうまくいったとか…そうした体験談も人の幸せだから素晴らしいですが、
それは結局「おかげ信仰」で純粋な信仰とは違うのではないですか?」という内容でした。
その頃は、生長の家の神観、罪観、実相哲学とか…、教えの理の部分の質の良い講話ありましたし、特にそれを学びたいということもありました。

そしたらその講師は、
「…あなたには、今「祈る」ということが大切かもしれないね…祈ると違う世界が見えてくるよ。」とだけ、言われました。
…実は、はじめその意味がわからなかったのですが、想いが変わったことがあったんです。

ある時、練成で「祈り合いの神想観」の時、
祈って欲しい人が、前に出るのですが、
病気や仕事、結婚などの悩みのある大人に混じって、6歳の男の子がちょこっと座っていたんです。
祈りの内容を聞かれて、
「弟となかよくできますように!」とマイクで発表したとき、会場からも笑いが起こって、わたしも、弟と喧嘩しちゃったのかな、微笑ましいな〜と見ていました。

その祈り合いの後、わたしが質問した講師が、
「あの子の「弟に感謝できた」というのは、…とても深いものがあるんだよ。」と話してくれました。
実は、お母さんが再婚して、その子はいわゆるそのお母さんの「連れ子」で、再婚した両親のもとに生まれたのが、弟だったんです。

その話をきいて、その子の「弟に感謝できた!」という言葉がとても大きな意味があったんだな…とわかりました。
あのちいさな心の中に、どんな想いを抱えて弟に感謝したいと「祈り合い」に参加したのだろう…と想うと胸がいっぱいになったし、
例えちいさな願いでも、その子の感謝の想いの中に、神が現れたんだな、…と、そのことが貴く想えました。

それからは、いろんな体験談を聞くたびに、この方のどんな心に神がおられるのだろうと、楽しみになりました。


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