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非武装信仰板

1125伝統版・第二:2017/06/16(金) 14:20:08

          *「光明道中記」(11月13日)より

【周囲の人は自分の生活の鏡。(『生命の實相』第四巻)】

維摩が病気で寝ていたとき、文殊菩薩が病問の使者として来た。
維摩は文殊に対して、「衆生病むが故にわれ病む」と答えている。

生長の家ではあまりに病気が治りすぎるために、またあまりに現象的利益が得られるために、
現象的な利益に傲(おご)り驕(たかぶ)って、病気のないことを悟の証拠にしようと
思ったり、金の儲かることを悟の証拠にしようとするような危険がある。

これは厳重に避けなければならない錯誤である。

「従容録」第三十六則馬師不安の公案がある。
不安と云うのは病気と云う意味である。

馬師の話は七月二十一日の欄でも触れたことがあるが、馬大師が病気で寝ていた。
そこで寺の院主が「和尚(おしょう)近日(きんじつ)尊位(そんい)如何(いかん)? 」
とやった。 「近頃病気は如何(いかが)でございますか」と云う程度の問だ。

馬大師答えて曰く、「日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(げつめんぶつ)だ」
これは「仏名経」に載せられている仏の名前であるが、
日面仏は昼を照らし、月面仏は夜を照らす。

昼は健康を表し、夜は病気を表している。
馬大師は「昼あり、夜あり、それが自然の健(すこや)かさ」と言ったのだ。
下痢あり、嘔吐あり、そのまま健康なのである。

晴天あり、雨天あり、そのまま日々好日である。
凡夫の晴天はそれに執(とら)われて慢心し、凡夫の雨天はそれに執われて悲しむ。

聖人にも雨は降るが、青空のように雨の染(しみ)を残さぬのである。

          <感謝合掌 平成28年11月13日 頓首再拝>


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