したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「まじめな話」の板

895さくら:2013/05/17(金) 09:49:28
> で、これも思うのですが、生長の家の信仰のあり方について、自分はこう考えるというのはいいですが、それを他人に強制するのは良くない、と思います。
それぞれの生長の家の考え方があり、それは、それで尊重するという姿勢は大切だと思います。

おとな(成熟した)の信仰ですね、こういうの。

とくに、宗教って、容赦なく、「善意」や「正義」や「愛(らしいもの)」の押し付けがあるから、ニガテだという人は、おおいですからね…


はなしは違うかもしれないですが…生命の実相の中で、一燈園のひとつ、はなしがありましたね、
雅春先生の御宅の枯山水の庭に枯葉が散って、その侘び寂びの風情を楽しまれていたのに、
一燈園の方が来てすべてきれいにお掃除してしまって。
せっかくの趣きが台無しだな、と思われたけど、…それは全くの「善意」であるのは分かるので、なんとも言えない。
酒好きの人は、人にも酒を勧めるし、甘党の方は人にも饅頭を勧めるというように、…人は自分が「これがいい」と思うものを人にすすめるけれど、その人にとってそれが最善とは限らない、らしいものというような。

(…これは庭だからまだいいですけど、心のもんだいになると、微妙なこともたくさんあるんじゃないかな…)




宗教の学びのあり方も、善意や真理(らしいこと)を人に押し付けるより、
だれでも、相手のほんとうの生長や命を其の儘に喜んであげる、祝福してあげるというような姿勢が、成熟した信仰なのかもしれませんね。

…わたしにはまだまだむずかしいですけど。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板