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「まじめな話」の板

8464蒼天の實相:2019/05/20(月) 20:23:42
>>8463
〜皇統移籍・臣籍降下しから、皇位に即位した、宇多天皇の史実②〜
(万世一系の史実)


1.略歴
1.1.阿衡事件
詳細は「阿衡事件」を参照
宇多は即位後間もない11月21日に、基経に再び関白としての役割を果たすよう勅書を送った。しかしこの手続きの際に左大弁橘広相の起草した「宜しく阿衡の任をもって卿の任とせよ」の文言に基経が立腹し、政務を拒んで自邸に引き籠もってしまう。翌年6月になって宇多はついに折れ、勅書を取り消した上に広相を解官せざるを得なかった。寛平3年(891年)1月に基経が死去するに及んで、ようやく親政を開始することが出来た。なお宇多が勅願寺として仁和寺を建立したのはこの阿衡事件の最中の仁和4年のことである。


1.略歴
1.2.寛平の治
詳細は「寛平の治」を参照
天皇は基経の嫡子時平を参議にする一方で、源能有など源氏や菅原道真、藤原保則といった藤原北家嫡流から離れた人物も抜擢した[5]。この期間には遣唐使の停止、諸国への問民苦使の派遣、昇殿制の開始、日本三代実録・類聚国史の編纂、官庁の統廃合などが行われた。また文化面でも寛平御時菊合や寛平御時后宮歌合などを行い、これらが多くの歌人を生み出す契機となった。


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