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「まじめな話」の板

8280シオン観測隊:2019/02/23(土) 04:19:18
〜大熊先生が何故、師範代と言う、宣伝効果のある。在日系極真流分派空手。〜


概要
極真会館(きょくしんかいかん)は、空手団体の一つ。正式名称は国際空手道連盟 極真会館(こくさいからてどうれんめい きょくしんかいかん、International Karate Organization Kyokushinkaikan, IKO or IKOK)。創始者は大山倍達。前身は大山道場。極真の由来は「千日を以って初心とし、万日を以って極とす」という言葉の“心”を“真”に変え、名称とした。大山倍達没後に分裂し、現在では、一般財団法人極真会館(館長・松井章奎)、NPO法人新極真会(代表・緑健児)などが主な会派となっている。

7.分裂騒動
7.2.1994年
大山逝去の翌々日、極真会館の審議(評議)委員長であった梅田嘉明が「大山総裁は遺言で松井章圭を次期後継者に指名された」と発表。5月10日に、梅田を財団法人極真奨学会理事長、松井を館長、郷田勇三を最高顧問、盧山初雄を最高顧問・主席師範、支部長協議会の会長を西田幸夫[10]とし、新体制による運営が始まった。6月に入り、遺族が記者会見を行い「遺言に疑問があるので法的手段にでる」と発表し、本葬時にも抗議活動を行った。国内の支部長では9月迄に高木薫ら計5人が、新体制に異を唱えて離れた。
7.分裂騒動
7.3.1995年
2月に高木薫ら5人の支部長が大山智弥子未亡人を館長とし遺族派(大山派)を結成する。
4月に新体制の松井館長派から、西田・三瓶啓二ら35人の支部長がいる支部長協議会派(現:新極真会)に分裂。この国内の分裂は海外にも波及し、世界各地で支部の取り合い、選手の引き抜きも行われ、分裂が生じた。松井館長派は中村誠や山田雅稔ら12人にまで減ったが、半年後には川畑幸一ら9人が支部長協議会派から復帰した。
8月には智弥子館長を頭とし支部長協議会派と遺族派が合流(大山派)。同年から各種大会が松井館長派と大山派に分裂して開催されるようになった。

7.分裂騒動
7.4.1996年以降
松井館長派と大山派は、それぞれの機関誌である『ワールド空手』と『極真魂』誌上で数年間、双方の正当性を主張しあっていた。1997年3月17日に遺言書の有効性を否定する判決が最高裁で確定した。そののち大山派は、協議会派と遺族派に再分裂。協議会派は1999年に西田・増田章が離脱。さらに理事の役職にあった田畑繁・七戸康博・桑島靖寛らが離れ、前後して離脱した長谷川一幸・大石代悟らと2001年に極真連合会を発足させる。協議会派に残留した者が現在の新極真会となった。遺族派は松島派、手塚グループ、極真会館 宗家に分かれる。
一方、松井は自派を株式会社化し、団体名称を株式会社国際空手道連盟極真会館と刷新したが、こちらもさらなる分裂が続いている。2002年に極真奨学会の梅田が松井と関係を絶つと、同年11月に盧山や地区本部長を務めていた廣重毅・湖山彰夫らも去り、彼らは極真館を興し、梅田と一緒に休眠していた極真奨学会を復活させた。2005年には水口敏夫[11]・河西泰宏らが、2006年には浜井識安が松井派から離れ、極真奨学会の協力団体になった。2008年、木村靖彦が全日本極真連合会へ移り、2010年8月には国際委員会委員で欧州地区担当のルック・ホランダーが、傘下の支部と共に松井派から離脱した[29][30]。この期間に黒澤浩樹・小笠原和彦・八巻建志・数見肇が独立し、自派を発足している。選手ではニコラス・ペタス・野地竜太・高久昌義らが離脱。また、近年では極真会館(松井派)の愛媛県支部長だった高見成昭と高見彰が傘下の分支部と共に独立。2016年には兵庫・大阪南支部支部長の中村誠が松井派から脱退した[31]。


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