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「まじめな話」の板
8256
:
シオン観測隊
:2019/01/31(木) 07:31:29
>>8255
〜新羅人と日産〜
2.ウトロ地区問題の推移
2.3.日産への要求
1988年、西ドイツ(当時)の自動車メーカーであるダイムラー・ベンツ(当時)は、第二次大戦中に同社で強制労働に服されたユダヤ人からの補償請求に対し2000万マルクを支払い、同社の自動車博物館の正面に彫刻物を設けた[9]。この事実を知ったウトロ住民は、上京し日産車体と日産自動車に対し補償を要求しようとしたが、面会は拒否された。1993年9月、住民代表は渡米し、ロサンゼルスで北米日産や日本領事館前でデモを行った[10]。
ダイムラー・ベンツは学者に依頼して1994年5月、「ダイムラー・ベンツにおける強制労働者」と称する調査報告書を出版した。その内容は下記の通りである。
ダイムラー・ベンツのルツェツォフ(ジェシュフ Rzeszow、旧称: ライヒスホーフ Reichshof)工場(ポーランド)には、ユダヤ人強制収容所からの労働者が運び込まれ、工場付属の強制収用所に700人が宿営させられた。30人用のバラックに100人のユダヤ人が宿営され、「労働を通じての殲滅(Vernichtung)」への移行の一つの代表例であった。賃金は会社より国防軍当局に支払われ、労働者に直接渡らなかった[11]。
このように、ダイムラー・ベンツが行った強制労働と、ウトロ地区での労働実態には格差があることが判明し、住民たちは1994年以後、日産に対してダイムラー・ベンツを引き合いにして要求することはしていない。
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