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「まじめな話」の板

8253蒼天の實相:2019/01/30(水) 10:19:46
>>8252
〜征夷大将軍と漢皇帝〜(劉邦末裔〜東漢氏〜坂上田村麿呂将軍〜

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1.中国
1.3.その他の劉氏
漢王朝の滅亡後は、南朝宋(劉宋)の劉裕が劉邦の弟である楚元王劉交の子孫を称したほか、後述のようにいくつかの非漢族の王朝が漢姓として劉氏を称している。後の前趙となる漢を建てた劉淵を始めとして前漢・後漢時代に漢の皇族と通婚関係を持った匈奴の単于一族(攣?氏)の末裔が漢室の正統な後継者を自負して劉氏を名乗った。さらに下って五代の後漢を建てた突厥沙陀部の劉知遠は明帝の子孫を名乗り、遼(契丹)の耶律氏も漢姓として劉氏を称した。アラブ系という説もある十国南漢の劉?も漢王室の支族である彭城劉氏の子孫を自称している。
また、4世紀から6世紀にかけて日本列島に多く渡来した中国系の渡来人の多くが、劉邦または漢室の子孫を称している。特に東漢氏と西漢氏が有名である。東漢氏の子孫に坂上田村麻呂がいる。
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3.出自
東漢氏の「漢」は後漢帝国に由来し、霊帝の末裔を称している[5]。『続日本紀』延暦四年(785年)6月条は東漢氏の由来に関して、「神牛の導き」で中国漢末の戦乱から逃れ帯方郡へ移住したこと、氏族の多くが技能に優れていたこと、聖王が日本にいると聞いて渡来してきたことを記している。系譜などから判断すれば、東漢氏は漢王朝との関係を創作したものと思われる。
東漢氏と直接の関係は無いが百済から五経博士「漢高安茂」という人が派遣されており、それ以前に派遣されていた博士「段楊爾」と替えたいと百済は申し出ている[6]。



4.氏族の特徴
東漢氏は、先来の秦氏と同じく漢土由来の製鉄技術をもたらしたと考えられている。また、記紀などの記録から土木建築技術や織物の技術者が居たことをうかがい知れる。東漢氏の一族に東文氏があり、7世紀から8世紀頃には内蔵省・大蔵省などの官人を出している。
また、東漢氏は軍事力にも秀で、蘇我氏の門衛や宮廷の警護などを担当している。『肥前国風土記』によれば、602年の新羅征討計画の際には兵器の製作を担当した[7]。崇峻天皇暗殺の際にも東漢氏の東漢駒(東漢直駒)が暗殺の実行役となっており、蘇我氏の与党であったが、壬申の乱の際には、蘇我氏と袂(たもと)を分かって生き残り、奈良時代以降も武人を出し平安時代初期には蝦夷征討で活躍した坂上氏の坂上苅田麻呂・田村麻呂親子が登場する。


※坂上宝剣を天皇陛下より承った、征夷大将軍はら皇帝と同じである。


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