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「まじめな話」の板
8194
:
蒼天の實相
:2019/01/04(金) 07:32:39
〜和氏〜
和氏
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1.概要
百済系の渡来氏族で、百済の第25代王・武寧王の子孫と称した[1][2][2]。和(やまと)の名称は、大和国城下郡大和郷(現在の奈良県天理市佐保庄町大和一帯)に由来する[4]。
もともと和史姓を名乗っていたが、和乙継(やまとのおとつぐ)の娘・新笠が入侍していた白壁王(光仁天皇)が即位したため、宝亀年間(770年代)に乙継・新笠親子には高野朝臣姓を賜与された[5]。また、乙継の子・国守らその他の一族も延暦2年(783年)に史姓から朝臣姓に改姓している[6]。
光仁天皇と新笠の皇子である桓武天皇は、延暦9年12月30日(791年2月11日)、生母の一周忌に際して、母系の祖父・和乙継と祖母・土師真妹(はじのまいも)に正一位を追贈した。朝臣姓和氏からは、桓武朝で天皇の外戚として中納言にまで昇進し、渡来系氏族として初めて公卿となった和家麻呂(乙継の孫)がいる[7]が、以降は振るわなかったとみられる。朝臣姓「高野」は乙継と新笠の父娘にのみ賜姓されたとみられ、こちらも文献に現れない。
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