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「まじめな話」の板
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:
蒼天の實相
:2019/01/02(水) 22:29:18
〜下毛野公時(金太郎のモデル)〜
概要
下毛野 公時(しもつけの の きんとき)は、平安時代の官人。童話「金太郎」のモデルとなったとされる[1]。
1.略歴
下毛野氏は、10世紀以降、代々下級武官を務めた氏族であった[2]。公時は近衛府の下級官人であった下毛野公友を父、尾張兼時の娘を母として長保2年(1000年)に出生した[1]。
寛弘6年(1009年)には、近衛舎人となっており、18歳で死去するまでには番長となり、その間三条天皇の行幸に際しての歌舞(東遊)や、騎射(真手結)、相撲使を務め、併行して藤原道長の随身ともなっていた。
寛仁元年(1017年)8月24日以前に相撲使としてスカウトに赴いた筑紫にて死去。享年18。
2.伝説化
詳細は「金太郎」を参照
存命中、近衛府官人「第一の者」と言われ、死後もその評判は衰えなかった[1]。『今昔物語集』では既に源頼光の郎党としての「公時」が見られており、伝説化の始まりと言える[1]。その後鎌倉時代から中世末期にかけ、「頼光四天王」伝説の定着により、次第に「金太郎」伝説となっていったと考えられている[1]。
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