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「まじめな話」の板

8155蒼天の實相:2018/12/29(土) 05:47:16
>>8154
象徴天皇制
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1.日本国憲法における天皇
日本国憲法第1条は、天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と規定する。その地位は、主権者(主権在民)たる日本国民の総意に基づくものとされ(前文、第1条)、国会の議決する皇室典範に基づき、世襲によって受け継がれる(第2条)。天皇の職務は、国事行為を行うことに限定され(第7条)、内閣の助言と承認を必要とする(第3条)。国政に関する権能を全く有さない(第4条)。
なお、帝国憲法においても、元首たる天皇は、明文規定がなくとも、当然に国家の象徴であった。現行憲法においては、実質的な(=内閣総理大臣が行使する行政上の)権限がない点で帝国憲法と異なる。これを強調し、「象徴天皇制」という。


熊沢寛道
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▼目次
概要
熊沢 寛道(くまざわ ひろみち、1889年(明治22年)12月18日 - 1966年(昭和41年)6月11日[1])は日本の皇位僭称者。第二次世界大戦後に正統な皇位継承者を主張した「自称天皇」の代表的存在である。大延天皇、また熊沢天皇(くまざわてんのう)の呼称で知られる。
熊沢の主張によれば、熊沢家は熊野宮信雅王に始まる家で、信雅王は応仁の乱の際に「西陣南帝」と呼ばれた人物だとし、その父は南朝の後亀山天皇の孫とされる尊雅王(南天皇)であるとする[2]。また、足利氏から帝位を追われ、応仁の乱の際に西軍の武将だった斯波氏が尾張国守護職をしており、宗良親王の末裔の大橋氏や、楠木氏ら南朝ゆかりの武将が多く住している尾張国時之島(愛知県一宮市)に隠れ住んだと述べている。
その姓は熊野宮の「熊」と奥州の地名・沢邑の「沢」をとって、熊沢姓を名乗ったとある。彼自身は分家からの養子だが、系図上は養父とともに後亀山天皇の実系の男系子孫ということになっている。


※明治天皇以来、昭和天皇のも、伏見宮家北朝系の天皇陛下である。

日本国憲法に基ずくなら、南朝系熊澤天皇は、北朝系昭和天皇より、当時の国民の総意基ずかなたのである。日本国憲法の象徴天皇は正しいと言わざるえない。


もし、大日本帝国憲法に復活するなら、明徳の盟約に基ずき、南朝系の天皇と現在の北朝系の天皇を交代しなければならないのである。


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