したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「まじめな話」の板

7926神の子様:2018/12/02(日) 20:19:00
 これを聞いた質問者は困った、『法華経』の真理を学びたいけれども、どうしても彼は人間の心の中に仏があるとは信じられないのである。

 そこで彼は日蓮聖人にこう言う。

「十界互具の仏語分明なり然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ。」

 要するに、「いくら理屈を並べられても私の心の劣った中に仏の素晴らしい教えがあることなど、信じられない。しかし、それを信じないと救われない、とはあまりにも酷い。貴方は上行菩薩とかいう偉いお坊さんなんだから、なんとか慈悲の心で私を救ってほしい。」という訳である。

 これに対する日蓮聖人の返答は冷たい。

「汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば釈尊より已下四依の菩薩並びに末代理即の我等如何が汝が不信を救護せんや」

 ここまでお釈迦様のお経で説明してきたのに、これを信じないのであれば、お釈迦様には遠く及ばない菩薩や私たちにお前を救うこと等できん、というのである。

 念のために言っておくと、これも「真言亡国」等と同じ方便説法である。こうして突き放して後で、日蓮聖人は「ただ、お経を理解していなくとも救われる方法はあるな」というのだ。

 どういうことかと言うと、「仏を見たてまつらざれども法華にて得道する」する例もある、仏教伝来以前に誰も救われなかったのかと言うとそういうことはない、としてこう述べる。

「其の上仏教已前は漢土の道士・月支の外道・儒教・四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之れ有り、又利根の菩薩凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々なり例せば独覚の飛花落葉の如し教外の得道是なり」

 ここでいう「外道」というのは、仏教と対立していたヒンドゥー教やジャイナ教と言った宗教のことである。こういう宗教や、中国の伝統宗教である儒教を縁として『法華経』の真理に触れて救われることもある、と述べている。

 また『法華経』以外のお経から結果的に『法華経』を悟って救われたものもいる、とも述べている。

 このように日蓮聖人は他の宗教を否定したように思われがちであるが、実際には他の宗教で救われるものもいることを、はっきり述べているのである。他宗派どころか仏教以外の宗教をも認めていたのが日蓮聖人であるから、単に他宗教を「邪教」として排斥し、同じ日蓮聖人を崇敬する仲間同士でも宗派争いをすることが日蓮聖人の説かれた「折伏」であろうはずがないのである。

http://nipponkakuryoukai.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/post-126a.html


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板