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「まじめな話」の板
7915
:
蒼天の實相
:2018/12/01(土) 22:21:12
>>7914
1.成立
古くから「越のしらやま」として、詩歌に詠われた白山は、富士、立山とならび「日本三名山」のひとつに数えられる秀麗な峰であった。また、白山から流れ出る豊富な水は四方の川を満たし、それが広く田畑を潤すお蔭で、人々の生活と農事の一切が成り立っていた。このため、古代より白山は「命をつなぐ親神様」として、水神や農業神として、山そのものを神体とする原始的な山岳信仰の対象となり、白山を水源とする九頭竜川、手取川、長良川流域を中心に崇められていた。
奈良時代になると修験者が信仰対象の山岳を修験の霊山として日本各地で開山するようになり、白山においても、泰澄が登頂して開山が行われ、原始的だった白山信仰は修験道として体系化されて、今日一般に認識されている「白山信仰」が成立することとなった。
3.歴史
崇神天皇7年に、白山を仰ぎみる遥拝所が創建されたと伝えられる。祭神は菊理媛尊(白山比・大神)、伊邪那岐尊(伊弉諾命)、伊邪那美尊(伊弉冉命)の三柱であった。
その後、717年(養老元年)に、修験者泰澄が加賀国(当時は越前国)白山の主峰、御前峰(ごぜんがみね)に登って瞑想していた時に、緑碧池(翠ヶ池)から十一面観音の垂迹である九頭龍王(くずりゅうおう)が出現して、自らを伊弉冊尊の化身で白山明神・妙理大菩薩と名乗って顕現したのが白山修験場開創の由来と伝えられ[2][3][4][5]、以後の白山信仰の基となった。
翌718年(養老2年)に、泰澄は御前峰に社を築き、白山妙理大権現を奉祀した。
平安時代には、加賀・越前・美濃の3国に禅定道が設けられ、「三箇の馬場(ばんば)は、加賀の馬場(白山比・神社)、越前の馬場(白山神社)、美乃の馬場(白山神社)也」(三馬場)と呼ばれた[6]。そして、神仏習合により、820年(天長9年)には、それぞれの馬場に、白山寺、平泉寺、長滝寺の神宮寺が建立された。
延暦寺の末寺となった加賀国白山寺白山本宮、越前国霊応山平泉寺、美濃国白山中宮長滝寺は白山頂上本社の祭祀権を巡る争いを続けたが、寛文8年(1668年)白山麓は江戸幕府の公儀御料となり、霊応山平泉寺が白山頂上本社の祭祀権を獲得した。
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