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「まじめな話」の板
7679
:
蒼天の實相
:2018/11/03(土) 09:55:00
>>7677
〜クリミア戦争〜
3.戦闘の経緯
3.5.太平洋での戦闘と日本への影響
太平洋側のロシア極東にも戦争は波及した。フランス海軍とイギリス海軍の連合は1854年8月末、カムチャツカ半島のロシアの港湾・要塞であるペトロパブロフスク・カムチャツキー攻略を目論んだ(ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦)。英仏連合軍は盛んに砲撃を行い、同年9月に上陸したが、陸戦で大きな犠牲を出して撤退した。英仏連合は兵力を増援したが、再度攻撃をかけた時には、ロシア軍は撤退した後だった。ロシアの守備隊は1855年の初頭に雪の中を脱出した。
この戦いと並行して、エフィム・プチャーチン海軍中将が日本との開国交渉にあたっていた。プチャーチンは、開戦前にロシア本国を出発し、1853年8月に長崎に到着。外交交渉に着手していたが、交渉が長引く中で英仏両国との開戦の情報に接し、東シベリア総督ニコライ・ムラヴィヨフとも協議の上日本との交渉を続行。英仏の艦隊との遭遇・交戦の危険を控え、1854年12月には安政東海地震により乗艦ディアナ号を喪失するも、1855年1月に日露和親条約の締結に成功している。
また、プチャーチンが長崎に入港中との情報を得、英国東インド・中国艦隊司令ジェームズ・スターリングは、それを捕捉すべく長崎に向かった。到着時にはすでにロシア艦隊は長崎にはいなかったが、英国とロシアが戦争中であること、ロシアがサハリンおよび千島列島への領土的野心があることを警告し、幕府に対して局外中立を求めた。スターリングは外交交渉を行う権利は有しておらず、かつ本国からの指示も受けていなかったが、長崎奉行水野忠徳は条約締結を提案し、1854年10月14日に日英和親条約が調印された。日本の北方でロシア海軍との交戦を行うためには、日本での補給を可能にすることには大きなメリットがあり、本国も追認した。
新興国で大きな海軍も有していないアメリカが、この時期ペリー提督を派遣して日本に対して砲艦外交を展開できたのは、この戦争によって欧州列強の関心が日本を含めた東アジア地域にまで及ばなかったことも理由の一つである。
なおこの戦争でフランスでは、政府の命令を受けてパリ天文台台長のルヴェリエという学者が暴風雨の研究を行い、これが今日の天気予報という学問のジャンルの起源になった。
4.戦争に関わった人物
アッバース・ヒルミー - エジプト総督。ムハンマド・アリーの孫でオスマン帝国側に立って参戦
アントワーヌ=アンリ・ジョミニ - スイス人軍学者。開戦当時のロシアの軍事顧問
ジェームズ・スターリング - 英国海軍軍人。極東のロシア艦隊を攻撃するため来日し、江戸幕府にヴィクトリア女王の親書を渡す
フェルディナン・レセップス - オスマン帝国側について参戦したために混乱したエジプトからスエズ運河の建設権を取得
ハインリヒ・シュリーマン - 戦争のための補給物資を扱い、財を成す。その金を元にトロイ発掘を行う
パトリス・ド・マクマオン - フランス外人部隊指揮官として参戦。後のフランス第三共和政の下で大統領を務める
フローレンス・ナイチンゲール - 看護師として従軍。負傷兵たちへの献身や統計に基づく劇的な医療衛生改革を実行し、「クリミアの天使」とも呼ばれた
レフ・トルストイ - 将校として従軍。セバストポリ要塞の戦いに参加。従軍した体験を元に小説「セヴァストポリ物語」を執筆して国家的栄誉を得る
エフィム・プチャーチン - ロシア海軍軍人。幕末に条約締結のため来日
吉田松陰 - 幕末の思想家。長崎からの密航を計画したが、開戦によりロシア艦が予定より早く引き上げたため失敗し、その後、別件で自首して投獄された
マイケル・ファラデー - イギリス人化学者。英国政府から化学兵器の開発を依頼されるが、拒否
アドルフ・エリク・ノルデンショルド - 学者、探検家。フィンランド大公国から追放されたが、1879年、地理学に名を残す北東航路の制覇を達成した
パーヴェル・ナヒーモフ - ロシア海軍司令官
ウィリアム・ライト - イギリス軍の騎兵隊士官として敵陣の偵察を担当していた。
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