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「まじめな話」の板

7639蒼天の實相:2018/11/01(木) 09:23:17
〜天地の食物〜
2.起源
創世記、第7章、第8章にあるように、イスラエルには古来から「清い動物」と「清くない動物」の観念があり (7:2, 7:8)、ノアは「清い動物」を神にささげている (8:20)。「清い動物」という概念は「神に捧げるのにふさわしい動物」という概念と関係して用いられている。また、神が「清い動物」「清くない動物」と説明抜きに言い、ノアがそれで理解できていることから、この区別は少なくともある程度までは、ヘブライ聖書以前から存在している文化的観念であった。高等批判的に言えば、創世記が書かれた時点では既に、想定する読者にとって「清い動物」「清くない動物」の意味は説明不要だった。その意味においては、神によって命じられたというのは、むしろ後づけの説明である[6]。もちろん、「ノアは無垢な人だったので、神が清い動物と言ったときその意味をおのずから理解したのだ」などと考えることも可能である。
一方、神はノアに対して「清い動物を7つがいずつ、清くない動物を1つがいずつ」生き延びさせるよう命じており、この区別は単に人間が神へのささげ物に対して抱いていただけでなく、神によっても価値的に是認されていると考えられていた。神は「清くない動物」を滅ぼそうとはせず、明示的に生き延びさせようとしているが、「清い動物」をより優遇した。「神に捧げるのにふさわしい」と考えられ、神からもより良いとされていると考えられる動物を食物とすること、神に捧げるのにふさわしくない「不浄な」動物を自分も避けて食べないようにすることは、神によって是認されたと考えられる清らかさに従うことであり、観念的には神に従うことや正しく生きて神に近付こうとする努力の一つである。
バビロン捕囚により神殿崩壊と祖国喪失の原因が神に対する自分達の背信行為にあるという確信が強まり、律法に則った儀式、食物規定、日常生活の倫理が励行されたという考え方がある。しかし、カシュルートは出エジプト以来のことが描かれるトーラーに基礎がある。
実際、創世記・第9章では神はノアとその子どもたちに「動いている命あるものと植物は、すべて食物にするがよい」と言っており、レビ記の制限よりはるかに緩やかだ。創世記では「清い家畜」「清くない家畜」といった区別があり、神へのささげ物は「清い家畜」「清い鳥」であったが、神の側からは「清い動物だけ食べよ」とは言っていない。
4、5世紀に編纂されたタルムードで、食生活に関する神の掟(ハラハー)も確立した。
カシュルートの重要な目的の一つは、ユダヤ法に照らして適合した清浄な食物を明確にし、そのために調理法や、食品ならびに調理用什器の選定と管理に至るまで規範を示し、食物や調理、食事そのものを聖化することである。そして、これに適合した清浄な食物や料理が、一般に、カシェル(またはコシェル)と呼ばれる。


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