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「まじめな話」の板

7634蒼天の實相:2018/11/01(木) 04:38:22
>>7633
〜聖フランチェスコの祈り〜

2.本文
この祈祷文は、世に出た直後から色々な雑誌に転載され、翻訳が重ねられた結果、様々な差異を生じている。上述したように、フランス語からイタリア語に翻訳された後、フランス語に逆翻訳されて『十字架』紙に掲載された例もある[20]。その結果、フランス語版ではおおよそ60、英語版ではおよそ40、ドイツ語版ではおよそ20、イタリア語版ではおよそ10のヴァージョンが存在する[21]。以下に示すのは、初出のフランス語版[22]から訳出したものである。
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみのある所に、愛を置かせてください。
侮辱のある所に、許しを置かせてください。
分裂のある所に、和合を置かせてください。
誤りのある所に、真実を置かせてください。
疑いのある所に、信頼を置かせてください。
絶望のある所に、希望を置かせてください。
闇のある所に、あなたの光を置かせてください。
悲しみのある所に、喜びを置かせてください。
主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。
なぜならば、与えることで人は受け取り、忘れられることで人は見出し、許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。
この祈祷文がアッシジのフランシスコの作で無いことは、19世紀以前に遡る資料が発見されていないことに加えて、フランシスコが使わなかった言葉遣いが見られること[23]、「私を平和の道具としてください」のような自分と社会との関わりを願う近代的な内容からもほぼ確実であるとされている[24]。とはいえ、形式的には古風にみえる。
この祈祷文は3つの部分に分かれており、最初の部分は「憎しみ/愛」「侮蔑/許し」「分裂/和合」「誤り/真実」「疑い/信頼」「絶望/希望」「闇/光」「悲しみ/喜び」という8組の対比が見られるが、こうした対照法は中世の祈祷文によく見られるものだった。実際の祈祷文で、似たものも幾つか探し出されている。[25]
また、2番目の部分は「慰められる/慰める」「理解される/理解する」「愛される/愛する」という3組の受動態と能動態の対照が使われているが、これは、聖フランシスコと行動を共にしたエジディオにちなむ『兄弟エジディオのことば』に類似例がある[26]。
3番目は「与えることで受け取る」「忘れられることで人は見出し」「許すことで許される」「死ぬことで復活する」の4組の逆説で構成され、「忘れられることで人は見出し」以外は福音書に出典を見出すことができる[27]。
従って、その内容にも関わらず、この祈祷文が古風に見えたことは、ごく自然なことだったようである。


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