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「まじめな話」の板
7472
:
トンチンカン信徒
:2018/10/16(火) 18:28:18
黒住宗忠は、安永九年(1780年)、備前国御野郡上中野村(現在の岡山市上中野)で、今村宮に仕える禰宜の家に生まれた。流行り病で父母を相次いで亡くした悲しみから、病に伏した宗忠は、文化11年(1814年)11月11日、冬至の日の出を拝む(日拝)中で天照太神と自分が一体となるとなるという体験をした。黒住教ではこれを「天命直授」と呼び、この日を立教の日としている。
この宗教的体験により宗忠は、病気治しや日常の心がけを説くなどの宗教活動を始めた。以後、嘉永3年(1850年)に死ぬまで、布教活動を行った。
宗忠の死後、安政3年に吉田家より、「宗忠大明神」の神号を与えられ、文久2年に京都の神楽岡に宗忠神社が創建された。宗忠神社は慶応元年(西暦1865年)、孝明天皇によって勅願所となり、従四位下の神階を宣下された。
明治9年(西暦1876年)、神道事務局から神道黒住派として独立した[1]。
平成28年(西暦2016年)、当代教主黒住宗晴が自身が満80歳を迎える平成29年(西暦2017年)9月18日に教主を退く意向を表明、黒住教協議会に於いて認められ、その旨が信徒に発表された。七代教主には現副教主である長男・宗道が就任[2]。教主の生前継承は1814年の立教以来初めてのことで、宗晴は名誉教主に就く[3]。
教団本部は岡山県岡山市北区尾上、神道山(しんとうざん)。(かつては同市同区大元の宗忠神社の隣接地に本部を構えていたが、市街地整備に伴い、昭和49年(西暦1974年)10月27日に神道山へ遷座)。
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