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「まじめな話」の板

7417志恩さん歴史:2018/10/08(月) 09:57:17
>>7416

〜〜上記のつづき〜

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※→(過去のコメント①)

629:志恩

11/11/17(木) 20:36:53 ID:psrFh/ZU

〜確率の高い勧誘方法〜

私が、本部時代に、青年会を新設したときの、効率のいい、誌友拡大、青年会員や白鳩会員を、無理なく増やした方法ですが、

今は、個人保護法がキツくなってるので,可能かどうかわかりませんが、
あのときは、私が戸別訪問しようとした地区の、かって、神誌(普及誌)をとったことのある人を、まず普及教会に行きまして、
徹底的に下調べしたのです。
自分でとった人、他人からプレゼントで送ってもらってる人、そして、過去にとった経験のある人も調べることができたのです。あのときは。

つまり、一度は、生長の家が、どういうことを説いているか、読んで知っているということですね。
これが、ポイントでした。これは、私が自分で考えたんですけれどね。

それで、行くまえに地図に印しをつけまして、アポなしで、突撃戸別訪問しまくったのです。
当時は、電話もあまり普及してなかったので、、

訪問先の人は。生長の家を知ってるから、話がはやくて。すごく効率よく、青年会に勧誘できたわけです。
行き当たりばったりでは、別の宗教されてる場合が、多いと思いましてね。

本部の帰りがけに、戸別訪問していました。

今は,セキュリティの問題がありますから、それが、できないかもしれませんが、、


※過去コメント2→志恩ー
楠本加美野先生の祝福行は、、一軒一軒訪問されて、本をお渡ししなくとも、
(玄関内に入らなくとも家の前ででも)その訪問先の家の方の、御先祖と御家族と御本人様の、幸せを、お祈りする、愛行であり、
祝福行でありますから、それは、素晴らしい代表的な愛行の1つでありますけれど、
別に、戸別訪問のやり方は、決まった形でなくとも、それぞれで良いのではないでしょうか。

もう50年も昔のことですが、少女時代の私が、当時、目指していましたのは、その頃、
私の在住していた東京の、ある地区には、1つも、青年会支部会がなかったので、
早急に、新しい青年会支部会を、創設したいと思ったことが目的の、戸別訪問だったのでした。

目標が、はっきりと、決まっていたんです。その目標は、青年会支部会の 開設でした。

しかも、私は、当時、原宿本部の本部職員でしたから、戸別訪問をする時間は、週休1日の木曜日以外は、本部に出勤していましたから、
夕方から夜にかけての短時間しか、戸別訪問をする時間がなかった時代のことを、話させていただいたのです。

ですから、短時間勝負だったのです。東京は、家屋でもアパートでも、非常に密集している人口密度が高い地区なので、
一軒一軒、しらみつぶしに、戸別訪問している暇はなかったのです。。

その頃は、創価学会が、猛烈な勢いで、折伏していた時代でして、やたらと創価学会の信者のお宅が、多い時代でしたから、
できるなら、生長の家を天敵にしていた創価学会の信者の家は、戸別訪問して相手と話しても、時間の無駄になりますから、
パスして、行きたかったわけです。

ですから、効率の良い方法を考えなければ、青年会員は、あのようには、集められなかったわけでした。

うちの地区の青年会支部会は、発会したその後は、東京1の青年会と言われていたほど、活気のある
和気藹々とした いい雰囲気の 青年会を運営していたのです。

それは、前にも書きましたが、当時、大学生だった F青年が、青年会委員長になってくれましたが、
とても、良い人柄の、純粋で気高い精神の持ち主の 逸材の人物だったから、その委員長のおかげで、
いい青年会が運営できたのでした。青年会支部会は、2つ、創設しました。毎月、30名近い参加者がありました。

(そのF青年にも、私にも 孫がいるほどの年代になりましたが、彼は、他県在住ですが、今でも賀状交換しています。)

※→結論

志恩さんは、創価学会や公明党などと、政治的背景を宗教に持ち込んで、セールス活動していた、自慢話をしてますね。嫌いと、現在言ってもるは、疑いますね。


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