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「まじめな話」の板

6642🍓:2018/05/17(木) 22:51:41
『凡庸の唄』への誤解 (2162)
日時:2018年05月17日 (木) 08時23分
名前:日野智貴

訊け氏がホンリュウ派への批判をすると慌ててその部分を省略した上で引用する志恩さんも滑稽な方ですが、訊け氏は「ホンリュウ派を非難するとその百倍教団を攻撃する」というポリシーがあるので、別に省略する必要はなかったと思います。

なんせ、コロンビア大学の大学院を卒業された方を「アホ」呼ばわりするのが訊け氏です。谷口雅春先生ならば決してそのような言葉は使われなかったでしょう。

ホンリュウ派批判は鋭いのに、「ホンリュウ派と比べて教団はアホで左翼!」という印象操作をしたいがために「アホ」とかそういう誹謗中傷の言葉を用いることしかできない、それが訊け氏です。

さて、この『凡庸の唄』ですが、反総裁の立場に立たれているサマリア人さんは「聖経」であると誤解されています。

『凡庸の唄』は聖経ではありません。『観世音菩薩賛歌』や『大自然讃歌』は公式には聖経ではありませんが、多くの信徒は「聖経」と呼んでいます。しかし、『凡庸の唄』を聖経と呼ぶ信徒はいません。

それは置いておくとして、私もブログで『凡庸の唄』に触れたことはあります。

岐阜県に行ってきました!
http://nipponkakuryoukai.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-a52f.html

『凡庸の唄』では「新幹線に乗るよりも各駅停車の方が良い」という意味のフレーズがあります。

そこで皆様に考えてほしいのは、これは「現象的な凡庸」ではない、ということです。

現象世界において凡庸な人間は新幹線で移動する距離を各駅停車で移動したりしません。仮にお金がないにしても快速電車があります。

しかし、総裁先生の言われる「凡庸」は「実相世界の凡庸」です。「実相顕現した凡庸」です。

凡庸でも実相顕現すると「各駅停車で新幹線の距離を移動する」という、周囲から見ると「変人」と思われそうなことも出来るようになるのです。

「凡庸は他を蹴落として世に先んじようと思わない。」と言うのもそうです。

これは実相顕現しているからこそ「他を蹴落として世に先んじようと思わない」と言う境涯に達しているのです。

「現象的な凡庸」ではなく「実相顕現した凡庸」の話をしているということを皆様はご理解ください。


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