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「まじめな話」の板

5543シャンソン:2017/10/21(土) 12:01:34

 讃嘆と、禮拝と、感謝は、すでにその御業が既に成就していると云う前提のもとに行ぜられる
ものである。それには成就しないかも知れぬと云う不安が微塵もない。それは南無阿弥陀佛と称えて
信心決定せると同じことである。ただ異なるのは死後の世界に於ける救いが信心決定せるだけではなく、
神想観に於いては、「今」すべての救いが信心決定せることである。

    『静思集』 谷口雅春先生著


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