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「まじめな話」の板
5478
:
神の子様
:2017/10/09(月) 16:22:02
847: 初心者 :2011/07/27(水) 22:58:59
復興G様
わたくしの気持ちを理解していただいてありがとうございます。
>祈りと行動は、別々のものではなく、一つなのではないでしょうか。私においてはそうなのですが、初心者さまは
わたくしは、いまだ祈りとは何かということがわかっておらないのだと思います。
「祈る」というと、どうしても教会のチャペルにひざまずく乙女の姿を連想してしまいます。
自分のなかからこみあげてくる思いはもちろんありますが、これが祈りだと感じたことは、
残念ながらありません。こみあげてくる思いと教会の乙女の姿とは、どうしてもむすび
つかない。固定観念というものなのでありましょうか。祈るという姿に、抵抗を禁じえない
でおります。
>「祈りにたいする嫌悪感は、確固とした体験がベースになっております」
とおっしゃっているのは、どういう体験なのでしょうか。お伺いしたいと思います。
体験とは青年会での活動です。わたくしは、活動のなかで、とにかく成果をあげる
ということを考えておりました。目標を立ててそれを実現する。これを当然のことと
考えておりました。
ところが実際に活動をしてみると、最初に戸惑ったのが、女子青年が非協力的だと
いうことであったのです。こちらが計画を立てて示しても、相手にしてもらえないのです。
計画そのものに興味を示そうともしません。
それでも、地元の単位青年会の女子青年は協力的でした。わたくしがどんなにわがままを
いっても、じっと堪えて協力してくれました。しかし、教区単位の活動となると、単位青年会
の女子青年は出てきません。教区の女子青年を相手にしなくてはならなくなります。
ここで協力をとりつけることができなくなってしまうのであります。どうして協力してもらえ
ないのか。その理由がやがてあきらかとなりました。祈ること。これが理由であったのです。
「祈ればいい」。こんな言葉をなんども聞かされました。具体的な計画を立てる必要もない。
祈ってさえいればことは実現する。教区の女子青年は、こうした考え方に基づいて行動して
いるようでありました。
男はこういうやり方には満足できません。計画を立ててそれを実現する。それが男の
よろこびなのであります。祈って実現させる。そんなやり方など、とうてい受け入れら
れぬ。それが男子青年すべての考え方であったと思います。
相手の考え方を受け入れられないのは、女子青年もおなじでありました。男子青年の
やり方は受け入れられない。それが彼女たちの考え方であったのでありましょう。
反目がつづきました。わたくしは、祈るということが嫌いになりました。だんじて祈りは
せぬ。そうなのです。わたくしは、だんじて祈りたくはないのです。
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