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「まじめな話」の板

5275シャンソン:2017/09/13(水) 16:44:59
   通過儀礼は古くさい儀式だと思っていないか。

 バンジージャンプは、南太平洋のバヌアツ共和国の「ナゴール」と呼ばれる儀式が
起源だそうです。成人男性と認められるには危険なジャンプをしなければならない。文明化されていない
共同体では、バンジージャンプ、割礼、刺青、猛獣狩りなど、身体的な苦痛や危険をともなう儀式に参加することが、
大人としての能力・覚悟を持っていることの証明となっていました。

 これが<通過儀礼>(英語では「イニシエーション」)です。
この通過儀礼はフランスの民俗学者アルノルト・ファン・ヘネップが提案した概念で、出生、成人、結婚、地位の昇進、死など、
「共同体に所属する個人が、ある状態から他の状態へと移行するときに、キリスト教の洗礼と同様に通過のために執りおこなう特別な儀礼」と
説いています。

 日本でも、武家社会の時代に、一人前の成人になったことを証明する通過儀礼として元服がありました。
現代の成人式とは異なり、信賞必罰の社会的責任(生死の覚悟)がよりいっそう厳しく問われる武士の儀礼で、男子は腹掛けをやめてふんどしを締めるなどしました。
子どもが通過儀礼を経験することによって、それ以降は大人としての処遇を受けることになるわけですが、宮参りや七五三などのように今に生きる儀礼もあれば、身体的な苦痛や
危険を問題視する人々の意識や社会構造などの変化とともに、すたれていったものも少なくありません。

<通過儀礼が少なくなったことで、今の社会では大人と子どもの境界線があいまいになっています>。
しかし現代版の通過儀礼も結構あります。たとえば受験。かつて一学年に二百万人いた時代は、受験はまさに戦争でしたが、近ごろは、子どもの数が減って、大学全入時代になっています。
しかし、明治大学でも、一般入試を乗り越えて入学してきた学生に言わせると、推薦ではなかったので、受験勉強は大変だったけれども、そのつらい経験がすごくよかったと言う人が多いのです。
受験が大人になるための通過儀礼になっているわけです。

 結婚も同じです。一九六〇年代前半には、国民の九八パーセントが一度は結婚していたので、とくに通過儀礼として意識することはありませんでしたが、今のように男子の四人に一人、女子の七人に一人が
五十歳までに一度も結婚をしたことがないとなると、逆に結婚の通過儀礼としての側面がクローズアップされてきています。
 通過儀礼は、社会からの圧力、強制力によってやらなければいけないからやるという側面があります。
しかし、そんな強制はよくない、圧力のない社会こそが理想であるからと、通過儀礼をないがしろにする風潮がありますが、<通過儀礼を乗り越えたおかげで大人になる>ということがあるので、その意義を大切にしたいものです。

 受験勉強一辺倒ではなく、部活動でがんばったというのも、ある種の通過儀礼です。あるいは、大学の卒業生に話を聞くと、社会人になって三年間くらいは大変だったという答えが返ってきます。しかし、日本の会社は教育力があるので、
三年も勤めると立派な社会人になります。入社三年目あたりまでが、社会人になるための通過儀礼になっています。

つづく


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