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「まじめな話」の板
4688
:
神の子様
:2017/06/17(土) 22:16:33
《一人のお遍路として17回も四国霊場巡りを重ねてきた玄峰老師。大自然の中で生かされている喜びをしみじみと味わってきた》
http://www.cocolotus.com/item/1514
より転載
法華経の真理に深く分け入り、自在の境地を得た人が白隠禅師であった。その白隠を終生の師として敬った人が昭和の禅僧、山本玄峰老師。慈顔温容の人であったが、己の修行には苛烈なまでに厳しかった。
有名な話に、元共産党員山本清玄氏との出会いがある。雲水となった清玄氏に問う。「入門の目的は何か」。清玄氏は胸を張って答える。「世のため人のためにと念願して修行したいからです」。老師はつぶやく。「奇特なことじゃ」。
三カ月後、同じやりとりがあって老師は烈火のごとく怒る。「まだ、分からんのか。わしは世のため人のために修行したことなど一度もない。皆、自分のためにやっているのや」。
清玄氏は、己のいのちをひたすら磨き続ける老師の姿が、そのまま他への布施行となっていることに気づいた。老師は語る。「一切が自分なのじゃ」。豊かに耕された老師の心には“自分”がなかった。人の呻きや悲しみが、そのまま老師の呻きや悲しみとなった。
「法に深切、人に親切、自身に辛切」と評された老師。亡くなるその日まで、ご恩になった一人ひとりの名を仏前で読み続けたという。
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