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「まじめな話」の板

4142トンチンカン信徒:2017/04/23(日) 06:27:37
シャンソンさん

横浜のおばあちゃん

耳聞こえなくて。
日野様が?
ホッマッタエ無関係?
て言ってるの?
誤読の、妄想に走り!

日野くんの為!一生懸命!コピペしまくり!
※※※※※※※※※※※
7883:志恩

17/04/23(日) 05:40:11 ID:6hRUvSRg
参考URL抜粋

日本の各地には、天照に先行して、瀬織津姫神の足跡が、ほとんど日本全国に均等にあります。
数ある日本の古文書の中で唯一、秀真伝「ホツマツタエ」にしか登場しない瀬織津姫の名は、

全国各地の約500の神社に祭神名として残り、中臣氏が作成した大祓祝詞にも登場するので、
少なくとも7世紀までは中央の祭祀掌握者には勿論、 庶民の間にも瀬織津姫については何らかの情報があり、

信仰の対象であったといえます。しかし、その直後,712年と720年に完成した記紀には一切登場しておらず、
意図的に除外されたことが十分にうかがえるのです。

瀬織津姫を縄文のアラハバキ神と結びつけて考える人もいますが、アラハバキ神社は、
三重県以東にかたまることを見ても、少し性格が違うような気がしますね。

日本の場合、征服者は必ずしも被征服者の崇める神を抹殺せず、主神と客神を入れ替えることで、
被征服者の神をも取り込んでいるものですが、瀬織津姫は、大祓祝詞の中に、もろもろの禍事・罪・穢れを川から
海へ流す神として残るのみです。水に関する神であることから、移動する古代の水銀採集民である壬生の民や製鉄民の神であった可能性もありますが、

秀真伝「ホツマツタエ」というのは、
景行天皇56年(126)に三輪臣オオタタネコノによって三輪系の伝承が編纂されたものです。

要するに「天孫」の伊勢神宮と「国神」が分祀されるという時代の時の話です。

記紀との一番の違いは、アマテラスが男神であるという点です。

いわく、イサナミの父トヨケ(伊勢外宮祭神・豊受大神)は第六代天神のオモタルとカシコネの両神に
世嗣の皇子が無いので、自分の娘のイサコを先祖の遠戚に当たるタカヒトと結婚させ、
七代目の皇位を嗣がせることに決めた。

イサコはヒタカミの国(日高見=陸奥)、タカヒトはネの国(北陸)で育ったので、
言葉や習慣に違いがあり、合意形成に時かかったが、イサコの慣れ住んだヒタカミと、
タカヒトの育ったネの国から、互いに歩み寄ったツクバ(筑波)に二人のために新宮を建てることになった。

この宮はイサ川(桜川)から少し離れた台地に造られ、イサ宮の離宮と呼ばれた。
この日以来、タカヒトはイサナギ、イサコはイサナミと名乗り七代目の天神となった。

記紀はアマテラスを女神とするが、『秀真伝』(ホツマツタエ)は
瀬織律姫をイザナギ、イザナミの皇子であるアマテラスの正妃で、
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ムカツ姫)は瀬織律姫のことだとしている。東国の話ですね。

アマテラスが、卑弥呼や神功、持統の影響で女性の太陽神になったとも考えられ、
この神話体系自体が、先住の東夷の物語の上に、天孫という征服者によって「上書き」された可能性は
実は、あるのではないか。

伊勢神宮の、「斎宮」制とか、女性しか触れない「心の御柱」のありようを考えるとき、
古いアマテラスが男神であった可能性は、捨てがたい魅力です  (参考)。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
だだら、

練成会、宇治へ、森のオフィス。

トンチンカンに変身して批判してないで、行きなさいてね。


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