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「まじめな話」の板
405
:
神の子様
:2013/02/05(火) 18:31:22
ますます、“迷う”雅宣総裁! (6178) 日時:2013年02月02日 (土) 10時32分
名前:画龍点睛
合掌、ありがとうございます。
「初心者=雅宣総裁」は、難解な哲学論争?には長けているように見えますが、宗教的な事柄や霊的な事柄に関しては、全く理解できていないのであります。またもや、大閑な彼は、下記の如き書き込みを性懲りもなく、し続けているのであります。
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「トキ掲示版」<ひとり言版>
2246 :初心者:2013/02/01(金) 13:13:31
>>2234
「迷いは自由からくる」。雅春先生もこのように説いておられたのでは?神は完全なる人間を創った。しかし人間に自由をあたえた。それは迷うこともできる自由だった。神は、人間に自由をあたえれば迷うということもご存じであった。こういうことを雅春先生はいっておられたとおもいますが、わたしの思い違いでしょうか。実相哲学の本質とは、神がいったんは完全な人間を創っておきながら、なぜ迷う方向に人間を仕向けたか、ということにあるとわたしは考えますが、いかがお考えですか? 完全なる実相世界を創っておきながら、神はなぜそれで終わりにされなかったのか、この謎を解くのが実相哲学の本質であるとわたしは考えます。
2247 :初心者:2013/02/01(金) 13:29:37
神が完全なる実相世界を創られたにしても、そのことに必然性は感じられないので、それはわたしにとってどうでもいい問題なのです。神が人間を迷うようにと仕向けられたことには必然性があるとおもわれるので、このことがわたしにとってのただひとつの問題となっています。
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「初心者=雅宣総裁」は上記のように「神がいったんは完全な人間を創っておきながら、なぜ迷う方向に人間を仕向けたか、神が人間を迷うようにと仕向けられたことには必然性がある」と論じているのであります。しかし、このような論理展開を雅宣総裁がなしていること自体が『生命の實相』を熟読していない事を暴露しているのであります。この様な論理展開は完全に間違っているのであります。
實相哲学の本質では、神は完全であり、<迷う方向へ仕向けた神>などは決して実在ではないのであります。また、迷う方向へ仕向けられた人間などは本来ないのであります。<神が人間を迷うようにと仕向けられたことには必然性がある>なんて言うこと自体、雅宣総裁自体が迷いの穴に落ち込んでいることの証明であり、足が地に着いていない完全なセレブ学者の迷言であるのであります。
(つづく)
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