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「まじめな話」の板

399初心者:2013/02/03(日) 09:44:09
さくらちゃんへ

>言葉もおなじでしょう。
単語そのものは、前後の「差異」によって、はじめて「意味」をもちます。
音符と同じように、それ自体、意味を持つとはいえない、ということになるのではないかとおもいます。

そのとおりです。言葉はもちろん、音にしても単独で意味を持つことはありません。
人は、他の言葉や他の音との差異を認識することで、言葉や音に意味を見い
だしているということになります。

これは驚くべきことですが、物質もまた差異であるとわたしは考えているのです
よ。物質も差異であるとする考え方は、物質のあるなしを問題にしている生長の家
では、おそらくなされていないとおもいます。

物質は単独では存在しえないということです。物質が存在するには、観測者が
必要なのですね。観測者がいないところに物質は存在しないと考えます。

つまり物質とは、観測者との差異なのですね。なにかわからないものがそこに
ある。「ある」といったところで、本当にあるのかさえわからない。その「なにか
わからないもの」と観測者とのあいだにあるのは差異だけなのですね。この
差異を観測者は物質として認識しているはずなのですよ。この差異を認識しない
かぎり、物質はどこにも存在しないということかいえるとおもいます。

ロゴスとしての言葉は、「この差異」を明確化しますね。言葉によって差異が明確化
されたことで、人ははっきりとした物質の像を得られるのではないかと考えます。

意味が差異であるように、物質も差異であるということです。物質はない、という
のであれば、意味もない、ということになります。

>(たとえば、「真の生長の家」と云うとき、そこには、「偽の生長の家」の差別化が潜在しています。
つまり、自分の認識に「真の生長の家」を存在させるには、「偽の生長の家」を必要とさせる、という、そういうことになるのだとおもいます。

「真の生長の家」といっている人にしても、自分の考え方と他者の考え方のあい
だに差異をみいだして、その差異を「真の生長の家」と名づけたわけですね。問題
は、この差異がなんであったかということですね。


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