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「まじめな話」の板

385初心者:2013/02/02(土) 19:31:06
このところしきりに「世界をふたつに割る」ということをいっておりますけども、
これはじつはわたしのオリジナルの思いつきではないのですね。

たとえば、世界をふたつに割る、ということについて、鈴木大拙は以下のごとく
述べています。

○初めに、実は初めなどないのだが、・・・・・・意志が己を知ることを欲し、意識が
目覚める。そして、意識の目覚めとともに、意志は二つに分断される。本来、自己
完結的であるはずの一つの意志が、いまや俳優であると同時に観客となる。そこ
で否応なく矛盾に陥る。なぜなら、その俳優は、意識を欲したために自らをその下
に置かざるをえなかったさまざまな制約から、いまや自由になることを望むからだ。

「否応なく矛盾に陥る」と鈴木大拙は述べていますね。「矛盾」の意味がわかります
か。いや、意味などどうでもいいのです。問題は、矛盾を解消しようとするか、矛盾
のなかにとどまろうとするか、のふたつの態度があるということなのです。

雅春先生は矛盾を解消する方向を示されました。みなさま方もこれに同意なさい
ました。

しかし一方で、観客として、矛盾にとどまろうとする人々がいるというのも事実で
す。なぜかといえば、観客になりたくて、矛盾を承知で世界をふたつに割ってみせ
たのですから、生老病死という悲劇が演じられる劇場に観客としてとどまるのは
しごくもっともなことだと考える人々もいるということです。

ところで神想観は、一時的にせよ、悲劇が演じられる劇場からでていくための、
ひとつの方法と考えよいのでしょうか。生長の家の方々は、せっかく入った劇場
から、一時的にではなく、できれば永遠に消え去ろうとしておられると考えてよい
というとこなのでしょうか。

観客になりたくて世界をふたつに割ったにもかかわらず、生長の家の方々は、その
ことを忘れて劇場からでていこうとしておられる、と考えてよいということなので
しょうか。これからいったいどのような劇が上演されるのか、それをみとどけること
なく、劇の途中で出ていかれようとしておられる、と考えてよいということなの
でしょうか。

みなさま方は、いったいなにをしようとしておられるのでしょう。でていくのでは
なく、もっとマシな劇を演じるようにと俳優に注文をつけようとしておられるだけ
なのでしょうか。

みなさま方がなにをなさろうとしておられるのか、それが判然とはしません。
「日本国実相顕現」とは、俳優にもっとマシな演技をみせろと要求しておられる
ということなのでしょうか。それとも、それをもって劇の幕切れにしたいという
ことなのでしょうか。

「これは劇だ、つくり話だ、悲劇はない」といって、すべての観客を劇場からでて
いくように仕向けようとしておられるのでしょうか。それは、矛盾にとどまろうと
する人々にとっては余計なお世話だとおもうのですが、それが人類光明化だと
考えておられるということなのでしょうか。

それとも、人類光明化とは、悲劇をゆったりと楽しめるように、劇場の居心地を
もっとよいものにしたいということなのでしょうか。あるいはそれとも、悲劇の
上演を禁止して、ハッピーエンドの気楽な演劇や、笑いに満ちた喜劇たけを上演
するようにと俳優に要求するということなのでしょうか。

あるいはそれとも、劇場そのものを取り壊そうとしておられるのでしょうか。「悟り」
や「直観把握」といった言葉が大仰に語られる背景には、いったいどのような意図
があるというのでしょう。けっきょくみなさま方は、悟りをえることで、いったいなに
を実現しようとしておられるのですか。


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