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「まじめな話」の板
376
:
さくら
:2013/02/01(金) 17:11:49
初心者様
ひも理論の波動のことは、まだよくわからないのですが…
ひとつ、意味をさすことばと、まだ事物が現れる前の「ものそのもの」…つまり初心者さまがおっしゃる流動的波動のせかいの関係は、
仏教でいう、「月と月を指す指」の関係を思い出しました。
この場合、月は真理や悟りの象徴で、
それを差す指は、経典や真理を書いた本や、いわゆる言葉になりますが、
実は…すこし前まで、禅の不立文字ということを、その指が真理をさしているとわかれば、もう指は必要ないという意味かな…、というようにおもってました。
でも、これは、当然、真理を悟れば経典をないがしろにしてよい、ということではないのですね。
文字に囚われた一律的な解釈や、ほんらいの「月そのもの」を忘れてしまうことへの、戒めということなのですね。
ただ、「自覚」をもって、言葉を使う、ということがとても重要とおもいます。
とくに宗教では、自覚がたいせつだということでないでしょうか。
たとえば、その差す指だけをみて、「これこそ真の教えです、ほかの指は、虚説です!」というような宗教的な偏見に陥りやすいことがあるとおもうのです。
これが絶対だとか真の教えなど、あえていうのは、他のものを排斥するあるいは、差別化するということを潜在させていることばだとかんじます。
自覚をもって使うことばがたいせつなのは、
真理そのものに触れることは、一般人には、危険だからではないでしょうか。
それこそ、初心者さまを通して学んだ、ラカンの、象徴界の中で生きる人は、言葉をなくし現実界に直面することは困難です。
真理を正しくしめす言葉というのは、いわば、「宇宙服」のようなもので、守られることではないかなと…。
宗教では、行とおなじくらいに、正しい言葉や経典を学ぶことが大切な理由であるとおもいます、
霊的直感に頼る危険性ということもありますね。
逆に、無自覚なことばの乱用で、暴走させることの危険性もあるのだとおもわれます。
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