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「まじめな話」の板

372初心者:2013/02/01(金) 11:19:38
たとえばわたしが、「感謝の思いがひもの振動を調整する」と書くと、初心者の
理解はやっぱりこの程度のものかとおもわれてしまうでありましょう。

ええ、この程度なのですよ。では、皆様の理解は?このあわれな初心者のために、
ぜひその高度な理解を語っていただきたいものです。

「感謝の思いがひもの振動を調整する」というのと「感謝の思いが病を癒す」と
いうのと、いったいどこに本質的なちがいがあるのでしょう。「ひもの振動を調整
する」というのは幼稚で「病を癒す」といえばこれは霊的に高度な発言であると
いうことになるのでしょうか。

たしかに「感謝の思いが病を癒す」といえば、じっさいに病が癒されるという現象
が起きてくるでありましょう。これを「感謝の思いがひもの振動を調整して、その
結果、ひもの振動と神の波長が共鳴して病気が治る」といってみたところで、じっ
さいに病気が治るという現象はたぶん起きません。

こうした結果のちがいから、「感謝の思いが病を癒す」というほうが霊的に高度な
発言であるとされるのは当然すぎるぐらい当然のことでありましょう。

救済ということでいえば、たしかにこのような結論がみちびかれますが、では真理
ということでいえば、どうなるでしょう。「感謝の思いが病を癒す」。これを真理と
してよいのでしょうか。

わたしにとっての真理とは、そこで起きていることではなく、それを起こしている
仕組みをいいます。真理とは仕組みです。感謝の思いを起こすことで病気が治る
とすれば、治ることが真理ではなく、治している仕組みこそが、わたしにとっての
真理なのです(おそらく生長の家もそうだとおもいますが)。

「神の理念が天下る」といっても、これはわたしにとっての真理ではありません。
神の理念が天下るその仕組みこそが真理なのです。「実相があらわれる」といった
ところで、これもわたしにとっての真理ではありません。実相があらわれる仕組み。
これこそがわたしにとっての真理なのです。

感謝の思いを起こすことで病が癒されるとすれば、それがどのような仕組みで
起こるのかということがわたしにとっての問題となります。治ればいいという、
そんな問題ではないのです。

その仕組みを語ろうとすればどうなるか。「人間知」と揶揄され、「この程度の
理解」とさげすまれるということです。だからといって、その人たちが高度な仕組
みを語っているわけではありません。「神の理念が天下る」とか「実相があらわれ
る」とかといい、これをもって真理といい霊的直観といっているだけなのです。

「神の理念が天下る」というのはすでにわかっていることなのです。「感謝の思い
で実相があらわれる」ということもすでにわかっていることなのです。わかって
いないのはその仕組みです。

もちろん、理念の内容を霊的直観で語る必要はあるでありましょう。しかしわたしが
知りたいのは、理念の内容ではなく、それが天下ってくる仕組みなのです。理念の
内容について言い争うような真似だけは、いたしたくありません。


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