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「まじめな話」の板
368
:
初心者
:2013/01/31(木) 18:02:40
さくらちゃんへ
>このコトバというのは、「主体客体」の分かれる以前の本質、うちゅうに成りませる、「聲」、
つまり母音世界の、産む側の世界、主体側、見る側、動く側の世界といわれる…まだ事物として現れる前段階の、いわば、まだ混沌の海のような状態…
それが、實相せかいになりひびいている、コトバの本質になるところではないかとおもうのです。
コトバとはたしかに、主体と客体が分かれる以前の世界で鳴り響いている波動で
あるはずです。わたしは、ロゴスとは分ける働きであると定義しておりますので、
コトバがロゴスであるはずがありません。
ロゴスはもしかしたら、仮想の世界で、実相の世界で鳴り響いていたコトバの母音と
子音とをふたつにわけたのかもしれません。その結果として、主体と客体の二元論
の世界があらわれたと考えることができるのかもしれませんね。
二元論の世界でもちいられている言葉はロゴスであるはずですから、まだかろう
じて結びついていた主体と客体を最終的に分け隔てる働きを、言葉は持つといえ
るはずです。
ただ、分け隔てることでなぜ鮮明な映像が得られるのか、これはまだよくはわかり
ません。もしかしたら、分け隔てたとみせかけておいて、裏では母音と子音が
こっそりと手をつなぎあっているのかもしれませんね。
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