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「まじめな話」の板

361初心者:2013/01/30(水) 21:29:24
役行者様

>言葉に意味がない!という段階で、躓いております。
「川」と云うすでにある「存在」に「カワ」と名前をつけたわけですよね。

「川」というすでにある存在に「カワ」と名前をつけたのではなく、それがなんで
あるかはっきりしないものを「カワ」と呼んだために「川」という存在があらわれ
た、というのがソシュールの考え方であるようです。

>それは現象世界は、千変万化し、流動的なので、同じ川はなく、大氾濫によってはなくなることもあります。ですから、一元論の世界には確かにありません。
ということから考察すると、「川」とネイミングした時点で、人間の意識の世界に「川」という固定概念が誕生した!ということでしょうか?

言葉以前の世界は、茫漠とした流動的世界であるのかもしれません。「川」といって
も、名づけ以前のそれは「川ではない、茫漠としたなにか」であったと考えられま
す。その「なにか」が「カワ」と名づけられたことでそれは「川」のごとく見えはじめ
たのではないかとわたしは考えています。

>現象という常に流転している世界に、「川」という固定概念をネイミングしたからそれは現象世界には、実際に存在しない!ということでしょうか..難しいです。

ソシュールの言語学はおそらく、名づけで「川」があらわれる現象を脳内の出来事
ととらえているはずです。名づけ以前に脳内に川のイメージはない。名づけること
で脳内に川の鮮明なイメージができた。こういうことをソシュールは言っている
という気がいたします。

たしかに、このように考えるのは合理的な説明になりますが、言葉で世界がふたつ
に割れることとの関係がいまひとつはっきりしません。脳内でそうした出来事が
起きているにしても、じっさいに起きているのは、もっとべつのことであるはずです。

言葉による名づけ以前までは、世界はまだ完全には割れていないはずです
(そのために像が流動して不鮮明なのです)。中途半端に割れた世界を言葉が、
最後の仕上げとしてまっぷたつに割ります。じっさいに起きている出来事とは、こう
いう出来事なのではないかと考えます。

「カワ」という言葉が、中途半端に割れている世界を完全に引き離します。そうする
ことで、それまでは不鮮明であった「川」が鮮明な映像としてあらわれてくるのです。

注)「カワ」という言葉で世界を割ったら「川」の映像があらわれてきたために、
人は、「カワ」という言葉が「川」を意味していると、ついつい思いこんでしまうと
いうことです。

>次に、雅春先生が「人間は神の子」という言葉で割った!と云われますが、この「人間は神の子」という世界は、一元世界に存在するのではないですか..それならば割ったことになりません。

「人間神の子」の世界に主観と客観が存在しなければ、それは一元論の世界です。
主観と客観が存在するのであれば、「人間神の子」の世界といえども二元論の世界
ということになります。「人間神の子」の世界、これはわたしには主観と客観が存在
する世界であるように感じられます。

まとまりがよくありませんが、とりあえず投稿いたします。あやしい点があれば、
いつでも訂正に応じます。


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