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「まじめな話」の板
2768
:
シャンソン
:2016/11/18(金) 16:02:49
谷神死せず
三十九歳の谷口雅春は、昭和七年五月五日の神示のなかで、
「生長の家が日本に現われたのも因縁のあることである。老子が谷神死せずと云ったのも吾れのことである。
釈迦が過去無量千万億阿僧祇東方世界に国あり。此の国に仏いまして多宝如来と称うと云いたりしも吾れのことである...」
と記している。
これはもちろん谷口自身のことばではなく、神が谷口の口を借りて語られたのだから神示なのである。
さて、この文中の谷神の名は列子「天端篇」に、「黄帝書曰、谷神死せず、是を玄牝(げんぴん)と謂ふ、玄牝之門、是れ天地之根と謂ふ、
綿々存するがごとく、用ゐず、勤めず、一に動きを作す」という。
この文は老子経にも一章をなしてあげられている。またわが国では儒教や仏教の用語に代わって神仙道家の言葉が上表や賜書に出てくるのは九世紀の頃で、
大同四年(八〇九)の嵯峨天皇の玄奘法師への賜書に「....屍を紫宸に脱し、谷神玄牝、懐を白雲に記す....」などとその言葉のかもし出す雰囲気や調子が喜ばれるようになる。
さて谷神とは、奥深くて空虚な所にひそむ不思議な力で、老子は、万物を生み出す働きを譬えており、玄牝は万物を生ずるもの、牝が陰門の穴から子を生むように、道が万物を生み出すことの意、
したがって「玄牝之門これを天地の根と謂ふ」。
谷口は謙虚にこう述べている。『生命の實相』の本当の著者は、谷口といういつから生まれて、いつかは死滅してしまうような儚い人間なのではない。
それらの著者は、「『久遠を流るるいのち』である。私はただ久遠を流るる『いのち』の流出口となったに過ぎない」といい、いわば釈迦八万四千の法も実は久遠実成の仏陀金口であるという表現を思わせる言い方であって、
そのあと、「谷口という名はよく附けてくれたものだと思う。私は老子が『谷神不死』と云ったところの、死なず不滅の『久遠を流るるいのち』の喇叭口になったに過ぎないのである」と述べている。
よほど谷神と谷口という姓とのつながりに神秘的なものを感じていたようである。
『谷口雅春とその時代』 小野泰博 著
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