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「まじめな話」の板

2508シャンソン:2016/07/31(日) 23:03:35
目には見えない先祖の魂を目の前にあるかのごとく敬う

 祭ること在すが如くし、神を祭ること神在すが如くす。
 子曰わく、吾祭に興らざれば、祭らざる如し。

【解釈】 

 先師は、先祖を祭るには先祖が目の前にいますように、神を祭るには神が目の前にいますように
心を込めて祭られた。そしてよく言われた。
「私は親ら(みずから)祭りに当らなければ、祭りをしたような気がしない」

 孔子という人は先祖祭りを非常に大事にしました。そして、先祖のお祭りをするときに先祖が自分の前におられるように
非常に丁重に祭った、というのです。我々もお盆になったら迎え火をして先祖をお迎えし、送り火をして普通の人間をお見送りするのと同じように
帰していきます。私の家でも娘や孫がちゃんと火を焚いて迎え火、送り火をやっていますので、私も一緒に手を合わせています。

 この行動は目には見えないけれどもご先祖様の魂はここにあるということを表しているんですね。
「鬼神」という言葉があります。この「鬼」は普通の鬼ではありません。先祖の魂を意味しています。「魂魄」という言葉もありますが、この「魄」は
魂のこもった肉体をいいます。その肉体を離れているのがいわゆる魂です。

「神を祭ること神在すが如くす」の「神」は宇宙の神です。我々は、目に見えなくとも神を尊敬しているでしょう。民族発祥以来、神を祭ってきたのが日本民族です。
孔子さんも先祖をお祭りしましたが、天地地祇といいますか、天の神、地の神をも非常に尊敬しました。時の政府もとくに天地の神々をお祭りしました。目には見えないけれども、
実際に目の前にあるような心をもってお祭りをしたのです。

 だから、「子曰わく、吾祭に興らざれば、祭らざるが如し」。
誰かが代わりに祭ればいいというのではなくて、自分で直接お祭りをしなければ祭ったような気にならないというわけです。
祭りは親祭、自らお祭りすることが大切だということです。

 共産党になってからの中国は無神論ですから神様を否定しています。そこで蒋介石総統が曲阜から孔子七十七代の孔徳成先生を
台湾にお迎えをして、お守りするようになったのです。それはいまも続いています。繰り返しお話ししておりますが、私はそうなったのです。
それはいまも続いています。繰り返しお話ししておりますが、私はそういう頃に孔徳成先生を日本にお迎えしたんです。

 もう数十年前、中国の文化大革命の直後でありました。お招きするのは非常に難しかったんです。中国はそういう状態だし、台湾とは断交しておりましたから。
けれども、徳成先生に日本においでいただいた以上は日本を本当に知ってもらうことが大切であると思いまして、私のいた生駒山で孔子さんをお祭りして、その足で神社にお参りしました。
そのときに行ったのが大物主神様をお祭りしている日本で一番古いといわれる大和の桜井にある大神神社でした。

      『百歳の論語』 伊與田覺 著


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