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「まじめな話」の板

2504シャンソン:2016/07/22(金) 16:17:14
    なんのためにこの命を使いたい?

 昭和20年、アメリカ軍はいよいよそこまで迫っていました。
沖縄海域に集めた戦艦は1500隻以上。兵力はのべ54万8000人。
一方、日本軍の守備隊は8万6000人。もし沖縄が落ちれば、本土九州は目と鼻の先。
ここは、なんとしてでも死守しなければいけない。

 沖縄が落ちれば、本土に乗り込まれる。そんな事態になれば、北からは、ソビエト連邦(現ロシア)が攻め入り、
朝鮮半島やドイツのように、日本も北と南に二分していた可能性も高かったのです。そこで編み出された戦法が特攻。
体当たりによる自爆です。飛行機1機の犠牲で、相手の航空母艦や戦艦を沈められるのです。

 陸軍の特攻基地の中心になったのは、鹿児島県の知覧でした。
少年兵の訓練は過酷さを極めました。「いいか貴様ら、航空兵はいつ死ぬかわからん。
いつ死ぬかわからんのなら、いつ死んでもいいようにしておかねばならん。そのためには体を清潔にしておけよ。
死んだときに体が不潔だったり、下着が汚れていたら恥だぞ。死んで恥をさらすようなことはするな。
毎日風呂に入り、毎日下着を洗うこと。わかったな」

 襟裏が汚れてないか、抜き打ち検査もあった。シャツの襟が垢じみていれば、はり倒される。
若い子は、14歳で親元を離れて、この厳しい生活を始めます。故郷に手紙を書きたくても検閲されているので弱音は吐けません。
そんな孤独な特攻隊の少年、青年たちを世話し、母のような存在をつとめたのが軍の指定食堂、富屋食堂の店主・鳥濱トメさんです。
この鳥濱トメさんはもう亡くなっているのですが、トメさんのお孫さんである鳥濱明久さんが、語り部としてガイドについてくださり、僕は知覧をまわってきました。


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